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【女系図でみる驚きの日本史】
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「実名忌避」とはどういうことなのか?
インターネットで知り合った人同士は、個人情報である本名でなくハンドルネームを使うようなもの、と説明されて納得しました。
このように、ものすごくわかりやすいたとえに落とし込むのも筆者の特徴で、読んでいてイメージしやすく助かります。
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「胤」より「腹」なのか
「ヨーロッパなんかと違って、日本では母親の身分は重視しなかったはず。腹は借り腹というくらいだし」
そんなイメージをぼんやりと持っていた私の頭を、ガツンと殴るのが第五講。
「光源氏はなぜ天皇になれなかったか」がテーマです。
自分のこうした考えを整理してみると、平安時代の話を江戸時代の徳川将軍家あたりで上書きしてしまったのだろうと思い当たりました。
ここで語られるのは、日本では母親の身分がかなり重視され、身分が低ければ出世にも響いたということ。周囲の見る目も違ってきたわけです。
言われてみれば、光源氏の母は桐壺更衣という身分の低い女性であることは『源氏物語』でも再三言われて来ました。
母親の身分が低い女性を、男性が手ひどく扱う様も『源氏物語』では頻繁に出てきています。
「劣り腹」という、身分の低い母親から生まれた人を蔑む、凄まじい言葉もあったわけです。
先日読んだ『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』では、足利尊氏が我が子・直冬を疎んじた話が出てきましたが、母親の身分が低いことも関係があるのかもしれません。
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もう日本史を今までのようには見れなくなる
第五講を読んでいると、人々の冷淡さにも驚かされます。
我が子だろうと、あるいは妻だろうと、生母の身分が低いだけで冷淡にあしらうというのは、何とも冷たいものだとつくづく感じました。
家族が愛し合うこそ伝統的な価値観だなどと言われますが、歴史を学ぶほど案外そうでもない……と思わされます。
ここで疑問が湧いてくる方もいるでしょう。
「そうはいっても、徳川幕府は側室が母の将軍ばかりだ!」
この点に関して、筆者は実に鋭い説を提示しています。是非、本書を手に取って、お確かめください。
Kindle版でしたらすぐにでも楽しめますよ。
優れた新書を読んだ時の「ランチ一食分でこの知識を……」という感動。
本書を読み終えたあとは、もう日本史を今までとは同じ目線で見られなくなるはずです。
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文:小檜山青
【参考】
大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書)』(→amazon)