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【妻と飛んだ特攻兵】
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ソ連の虐殺に耐えかね特攻を決意する
それにしても、ほかの航空隊は降伏したのに、なぜ彼らだけが命を賭して最後の抵抗の意志を示したのでしょうか。
敗戦は決まっており勝利のためではない。
ただ「意志」を示すためだったといえます。
それは以下の通りです。
3日前の8月14日に、大虎山飛行場(注・彼らが所属する)から飛び立った偵察機のパイロットが、ソ連戦車隊による凄まじい蛮行を目撃していたからである。
「葛根廟事件」と言われているこの虐殺事件は、大虎山から500キロほど北上した地点にある大草原の葛根廟で起こった。
14両の戦車と20台のトラックが丘の上に現れた瞬間、浅野参事官は即座に白旗を揚げて無抵抗を示したが、ソ連軍は機関銃で浅野を射殺し、丘の上から猛スピードで突進してきた。約2千数百名が悲鳴を上げて一斉に走り出すと、ソ連軍は草原を逃げ回る避難民の群れを追い回した。
約2時間におよぶ襲撃を終えてソ連軍が去っていくと、周辺で虐殺現場を見ていた中国人たちが暴徒化して生存者を襲い、下着に至るまで身ぐるみ全てを奪っていった。
(295頁・本書にはもっとショッキングな表現が書かれていますが省きます)
これを知った11人は復讐を誓い、整備士に爆撃装備を依頼したところ、すでに飛行場には爆弾そのものが残っていませんでした。
そこで特攻を決意したのです。
驚きと悲しみ、そして愛。
この戦争を兵士として体験した人が軒並み90歳以上をこえる中、もう新しい逸話は出てこないのかと思われていただけに、衝撃の物語でした。
なお、ドラマはAmazonプライム・ビデオで視聴できます(→amazon)※レンタル330円。
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文:川和二十六
【参考】
豊田正義『妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻 (角川文庫)』(→amazon)