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【相楽左之助】
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赤報隊、幕末の隠蔽
相楽は幕末を描いた作品でも、戦前はタブーでした。
慰霊すら、子孫の代になってようやくできるようになった――そんな悲しい存在でもあります。
なぜなら明治新政府を樹立した維新サイドの黒い一面を暴いてしまう存在であり、大河ドラマですらほとんど扱われなかったのです。
では、なぜ、そんな扱い方だったのか?
これがなかなか面倒な背景がありまして。
・赤報隊は悪くない! 偽官軍は言いがかりだ!
・しかし、そのことを語ろうとすると、京都の大商人とつながった明治新政府という黒い側面が出てきてしまう
・大衆が知りたいのは、無血開城とか、そういうスカッとする話で、冤罪処刑なんて見たくない
山岡鉄舟~西郷を説得して無血開城を実現させた生粋の武人53年の生涯
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ゆえに歴史の陰に追いやられてきたんですね。
『るろうに剣心』の大功績
説明するのも骨が折れる――そんな赤報隊の悲劇を劇的に変えたのが他ならぬ『るろうに剣心』です。
漫画にすることできっちりと悲劇性を説明する。
頼りになる兄貴としての相楽。
そんな相楽が首になった悲劇的なイメージのインパクト!
幼い左之助や月岡津南の恨みもわかる!
読者をそこに引き込まねばならないからこそ、劇的にうまく描かれておりました。
「赤報隊ね。相楽か。あのかわいそうな人だな」
スンナリとそう通じるようになったのですから、漫画の力によって誤解された歴史人物が如何に名誉回復を果たせるのか。
『るろうに剣心』はきっちりと証明したのです。
ちなみに月岡津南について少し補足を。
新潟の地名から「月岡」は取られたそうですが、幕末から明治にかけて錦絵を描いた絵師・月岡芳年がおります。作中でも出てきた伊庭八郎の絵を描いたことでも有名です。
月岡芳年の作風は残酷極まりない描写が特徴。
例えば上野戦争の戦場に出かけていき、戦死した者たちの姿を描いていたことでも知られています。
彰義隊が散った上野戦争の恐ろしさ~大村の作戦とアームストロング砲で焼け野原
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江戸っ子として、彼らの無念を絵に残したかったのでしょう。
戦国時代を題材にした絵でも、そのリアリズムあふれる迫力の形相には、幕末に散った者たちの無念が反映されていると評されております。
写真の登場前、毒々しい錦絵は庶民のジャーナリズムであり、娯楽の象徴でした。
現代人が週刊誌やワイドショーに飛びつくように、明治を生きる人々は錦絵に夢中になっていたのです。
月岡芳年は、そんな時代を代表する絵師。月岡津南も錦絵作家として活躍したことでしょう。
……と、まとめたいところですが、もしも明治時代に赤報隊という維新政府のタブーを絵にして発表していたら、逮捕収監もあったかもしれません。
そこは月岡芳年のように、戦国武士に反映させるのが無難かもしれません。
そんな月岡津南は爆弾を使いこなしますが、明治時代は爆弾テロの時代でもあります。
大隈重信も犠牲者の一人。ロシア皇帝・アレクサンドル2世も爆弾に倒れました。
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