そのイメージは時代によって変わり、例えば江戸時代のように「火事と喧嘩は江戸の華でぇ!」と言われたところで、現代人からすれば一体何のことやら……と、戸惑ってしまうでしょう。
では、明治初期を舞台とした『るろうに剣心』の世界ではどうか?
それはなんといっても相楽左之助だ!
と言い切ってもよいのではないでしょうか。
レギュラーメンバーであり、快男児そのものと言える存在――本稿では相楽左之助について考えてみたいと思います。
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佐幕倒幕バイブリッド
左之助は、まさに本作の特徴と言えるでしょう。
名前の元ネタは二人います。
一人目は……。
最後は西郷に見捨てられた 相楽総三と赤報隊は時代に散った徒花なのか
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二人目は……。
佐幕派・新選組の原田左之助
新選組十番隊組長・原田左之助~幕末をひたむきに生きた青年剣士29年の生涯
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この組み合わせというのは、なかなか倒錯があり、平成ならではの設定と言えます。
討幕派と佐幕派の記憶が生々しく残る時代でしたら「混ぜるな危険!」と炎上しかねないものでした。
そしてこれは、和月先生の価値観そのものでもあります。
司馬遼太郎の大ファンである和月先生は『燃えよ剣』や『翔ぶが如く』がお気に入りのはず。
もしも和月先生にゆかりの深い土地だったり、あるいは両親の出身地だったり、特定のエリアに影響された歴史観で幕末史を描いていたら、なかなかこうはならなかったのでは?
しかし、入口が司馬遼太郎であれば、納得のいくハイブリッドです。
相楽総三と原田左之助の組み合わせという時点で、平成当時の歴史観が反映されています。
赤報隊、昭和の悲劇
『るろうに剣心』で、相楽総三が取り上げられたことには大きな意義がありました。
というのも、それまでの赤報隊には、マイナスイメージがこびりついていたのです。
昭和末期の1987年(昭和62年)から平成初期の1990年(平成2年)にかけて起きたテロ事件。
実行犯たちは「赤報隊」を名乗りました。
もともと赤報隊は幕末に活動した集団ですが、よほど歴史に詳しい人でなければ名前すら知らず、ゆえにその名前には強烈なマイナスイメージが付き纏っていたものです。
歴史人物や団体名の流用は、ネタ元にされた対象についても悪印象を与えかねずに危険。
「赤報隊といえばテロリストでしょ。元になった相楽って男も、処刑されたんだって。偽情報を流したらしいよ……」
かくして赤報隊は幕末のみならず、昭和にまで悪名を轟かせておりました。
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