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【ゴールデンカムイ鶴見中尉】
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妻子を愛してしまった“諜報員”
士官学校卒ともなれば、少尉から軍人としてのキャリアが始まります。
鯉登と鶴見が一階級しか差がついていない。そこには歪な構造も見て取れます。
明治時代は、陸軍が長州閥、海軍が薩摩閥でした。薩長の出身者は、名前さえ書ければ軍隊内で出世できるとすら言われていた。
会津藩出身の陸軍士官である山川浩が、西南戦争での卓越した戦果もあって少将にまで昇進すると、山縣有朋が憎々しげに「ありゃ会津じゃろが」と吐き捨てたと伝わっています。
賊軍出身者が出世できる軍隊ですら、露骨な差別がありました。
作中の鶴見は飄々としているようで、その不平等を感じていないはずがありません。
ここで効いてくるのが、長岡出身であるということ。
私の方が賢いのではないか?
威張っている連中は政治的詐術を用いてその座にいるだけであり、実力ならば私が上ではないか?
そんな騙し合いに向かっていく理由があるように思えてくるのです。
といっても、まだ若い頃の鶴見は真面目でした。
明晰な頭脳とロシア語を話せることからか、ロシアで潜入任務をこなしていたことが描かれています。
長谷川幸一という偽名を用い、ウラジオストクで写真館を始める――諜報員としての任務をこなすことになったのです。
重要でありながら、花形とはいえない任務でしょう。
当時の日本にとって、国土防衛の上で最大の脅威はロシアでした。
江戸時代後期のころから、日本はロシアに対しひしひしと脅威を感じていて、そうした根深い恐怖心は、ロシアへの嫌悪感にも繋がってゆきます。
そんな敵地で写真館を開く。見つかったらどうなることかわからない。
しかもこのウラジオストクで、長谷川幸一という日本人はフィーナという妻を持ちました。愛娘のオリガまで授かります。
この長谷川幸一時代の行動が、重要かつ、実は難解なものと思えます。
諜報員としてロシアにいながら、妻子を持ってしまった。果たしてそれはよいことなのかどうか?
軍人としては、あくまで偽装に徹するべきでしょう。
人の上に立つ士官としての心得は、鯉登音之進の父である平二が体現。
彼は我が子かわいさのために、庇うようなことをしてはいけないと考え、息子を樺太に派遣しました。その任務の際に重傷を負うと、周囲に誰もいないことを確認してやっと安堵した顔を見せています。
これが明治の軍人らしさです。
我が子二人が戦死した乃木希典は、その子の死まで含めて美談とされました。
こうした事例を踏まえると、偽装結婚で得た妻子を真剣に愛してしまうというのは、あまりに軍人としての心得が足りない。
それが鶴見の置かれたジレンマでした。
最愛の妻子を失った”長谷川幸一“という男
諜報員としての長谷川幸一は、ロシアの官憲に正体を疑われ、写真館に捜索の手が及びました。
彼自身のミス由来ではないものの、諜報員としては任務失敗です。こうなれば速やかな撤退しかありません。
しかもそのとき、ウイルク、キロランケ、ソフィアの三人組が写真館にいました。
革命をめざす彼らと官憲は銃撃戦となり、その過程でフィーナとオリガは命を落としてしまいます。
写真館に火を放ち、彼はウラジオストクから戻ります。
胸には妻子を殺したウイルクへの憎しみ……しかし、冷静に考えてみると、鶴見の怒りと憎しみには正統性が薄いように思えてきます。
諜報員として妻を偽装工作に巻き込み、危険に晒した。その迂闊さを擁護することは難しい。
フィーナとオリガを殺した銃弾を放ったのは、確かにウイルクです。とはいえ、そこに至るまでの過程において、鶴見はかなりのミスがある。
ウイルクの仲間であったソフィアは、フィーナとオリガの死に対してかなりの罪悪感を抱いています。
しかしキロランケはそうでもない。ウイルクからも感じられない。
この三人の中ではキロランケが最も冷徹かつ任務に忠実といえる。彼も北海道に渡り妻子を得ています。ところが劇中において彼が妻子を思い出すことはありません。
それどころか、キロランケはウイルクが妻子を得たことで甘くなったとみなしていました。
あの写真館事件について考え直してゆくと、むしろ鶴見という人物は甘かったのではないかと思えます。
だからこそ、冷酷になっていったとも思えるわけですが。
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