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西郷どん(せごどん)特集 幕末・維新

伊集院須賀(西郷隆盛1人目の妻)とは?西郷どんで橋本愛さんが演じる

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大河ドラマ『西郷どん』序盤の意外な見どころは、薩摩では御法度と思われていた恋愛事情。
西郷隆盛大久保利通、そして岩山糸(後の西郷糸子)の三角関係が描かれました。

糸は縁談話が進み、こうした関係にも終止符が打たれ、次に西郷と大きく関わりを持つのが伊集院須賀という女性です。

誰あろう、西郷、最初の奥さんです。
ドラマでは橋本愛さんが演じられ、少々、性格がきつい(生まれついての無愛想設定)そうで、これから西郷が江戸に出ていくというところでひと波乱ありそうな雰囲気でもあります。

本稿では、その伊集院須賀さんに注目しつつ、薩摩や幕末武家の恋愛事情についても触れておきたいと思います。
なんせ糸の行動が『さすがに、おかしくないか?』という疑問の声が多く……。

岩山糸(黒木華さん)

 

どんなことでも女に関わるな!それが郷中の掟なり

西郷の周囲を走り回り、しまいには恋心を隠そうともしない糸。

果たして、史実を考えるとそんな状況になりえたか?
当時の状況を鑑みてみますと、正直、かなり厳しいものがあります。

状況1 当時の薩摩武士において、未婚の男女が仲良く外を歩くことは考えられない
状況2「郷中」の掟に、どんなことでも女には関わるな、とある
状況3 岩山糸は西郷と大久保よりかなり歳下であり、劇中のような同年代ではない
状況4 西郷隆盛と岩山糸は、周囲が結婚を勧めてくるまで面識はなかったか、ほぼなかったと考えられる

ドラマでは、第一話から女装して糸の苦労に理解を示す西郷ですが、林真理子さんの原作では
「母親以外の女は尊ぶ必要はない」
という考えを抱くほど、ストイックです。

ちなみに原作の西郷は、稚児趣味(男色)の気もありません。
ただし最初に、恋愛に似た感情を抱く相手が、清水寺の僧・月照(尾上菊之助さん)です。

原作とドラマ版の間には、かなりの違いがあるのですね。

恋愛の要素といえば、西郷と篤姫の間にも恋心のようなものがある――と事前に報道されておりましたが……こちらも相当無理がありましょう。

篤姫と西郷隆盛の関係は? 史実から見て2人の間に恋愛感情は無理ありすぎ

 

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最初の妻・伊集院須賀

ドラマでは「運命の相手」のように描かれる西郷と糸ですが、実際の2人は再婚同士です。

西郷、最初の妻は、伊集院須賀という女性。
ドラマでは橋本愛さんが演じます。

史実の須賀は天保3年(1832年)生まれですから、文政10年(1827年)生誕の西郷とは5才差ということになりますね。
結婚したのは嘉永5年(1852年)。
彼女が20才の頃ですから、当時としてはやや遅い結婚でした。

須賀の実家は、薩摩の有力豪族である伊集院氏の流れを汲む名門とされています。

西郷家よりも上の家ですので、格差婚になりますね。
しかも須賀は、結婚がやや遅い。一体なにがあったのか?

と、彼女に関する記録があまり残っておりませんので、創作ではここらの事情から何か「わけあり」ではないかと推察して話を組み立てるようです。

 

「わけあり」の中身は?

西郷どん原作の須賀は、天然痘にかかり、顔にあばた(痘痕)が残った女性でした。
平たく言えば容姿に問題があったから、格下の西郷家へ嫁いだ――とされているのです。

にしても、歴史を振り返ってくると、必ず出てくるのがこの天然痘。
現在では根絶されておりますが、かつては多くの人が罹患したおそろしい病気でした。

病気そのものに死の危険性があるだけでなく、生き残っても容姿が崩れてしまう、それが恐れられた原因です。

例えば……。
伊達政宗は天然痘が原因で右目を失明。
明智光秀の妻である妻木煕子(つまき ひろこ)も、あばたが残り、父親が瓜二つの妹を嫁がせようとしたところ光秀が見破った、という逸話があるほどですね。

天然痘は、ジェンナーが確立した種痘によって予防できる病気となり、ドラマの舞台となる幕末1858年には種痘を摂取する施設が江戸に開設されておりました。
あるいは、福沢諭吉が学んだ緒方洪庵の「適塾」、長州藩久坂玄瑞の兄・玄機、会津藩の山川重英あたりも同時期に携わっています。

ドラマ『西郷どん』での須賀さんは、天然痘という設定ではありません。
劇中では、あくまで
「須賀の父・伊集院兼善が西郷吉之助を気に入ったから」
ということになるようです。

ドラマでの須賀は、極端に無愛想で家事が苦手……という性格なのだとか。
幕末の武家女性が家事を苦手とするというのは、ちょっと苦しい設定の気がしますが、まぁ楽しみにお待ちしておきましょう。

橋本愛「西郷どん」で大河デビュー 西郷隆盛の最初の妻役「不吉な嫁」

 

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すれちがってスピード離婚

原作における西郷と須賀は、仲むつまじい関係ではなかった――と記されております。

なんせ史実でも結婚2年後の1854年に離婚しているぐらいです。

しかし、これには致し方ない事情もありました。

2人が結婚した翌嘉永6年(1853年)、浦賀に黒船が来航するのです。
日本中が騒然として、政局はめまぐるしく動き、薩摩藩とて例外ではありません。

西郷家は、父・竜右衛門、父・吉兵衛、母・政佐子と立て続けに不幸があり、貧しい大家族の西郷家を切り盛りをしなければならない状況。須賀にはかなり負担がかかったようです。
家の外も内も大変な状況ですから、夫婦生活どころではなかったということでしょう。

しかも安政元年(1854年)になると、夫の西郷が島津斉彬に従い、江戸に向かうことになります。

さすがに伊集院家としても、いつ戻るかわからない夫を待ち続ける娘を気の毒に思ったのでしょう。
これは、西郷家でも同じ考えでして。

幸か不幸か、二人の間には子供も産まれてはおりません。
両家で話し合い、西郷と須賀は円満に離縁することになるのです。実際、このあとの伊集院家と西郷家の関係が悪化した様子はありません。

留守が長すぎて須賀が気の毒だから、というのは西郷なりの想いやりだったのですね。
ただ、西郷も須賀のことを終生気にしてはいたようですから、何か彼なりに思うところや離婚の原因があったのかもしれません。

ちなみに須賀の弟・伊集院兼寛は、薩摩藩士として幕末維新の政局において活躍します。
維新後は西南戦争に巻き込まれることもなく、順調に子爵にまで出世するのでした。

 

幕末の結婚事情について

武家は家同士の結びつきです。
ですから、メリットがないとなると結構あっさり離婚しました。

幕末は、国元に妻を残して、京都や江戸に滞在する武士が多くおりました。
そうした滞在先で、多くのロマンスが生まれたことは有名です。

西郷にも京都では親しくなった女性がおりました。
彼女はそのたくましい体格から「豚姫」と呼ばれていたとか。
ドラマで、どんな女性として登場するか、気になりますよね。

もちろん、そうした華やかなロマンスの陰には、夫の留守を守り、寂しく暮らす妻の姿があったことは確かです。

現代人からすれば、出張先で彼女を平然と作るような幕末武士の行動は、ちょっと不愉快に思えるかもしれません。
妻の心情や、離婚に至る場合は、そのドラマチックな経緯を想像したくなることでしょう。

そういうところをうまく補完するのが、作家や脚本家としては腕のみせどころになるところです。

ただし、伊集院須賀の結婚時期は政治情勢が大きく動いている大事な時期です。
あまりに彼女の思いに焦点をあてすぎると、そのあたりがボヤけてしまうかもしれません。

そこもさじ加減が大事、というところでしょうか。

 

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西郷「第四の妻」伝説

・伊集院須賀
愛加那とぅま
・岩山糸

上記のように三人の妻がいたとされる西郷には、実は「第四の妻もいた」という説があります。

この説によれば――。
嘉永3年(1851年)、西郷は島津斉彬の密命を帯びて台湾に密かに渡りました。
このとき平埔族で17才の少女「蘿茱」と恋に落ち、子まで産まれたというのです。
ただし、2人の子孫は現在は途絶えたとされておりまして。
真偽は不明ですが、このような伝説が残るというのはなかなか興味深いところではあります。

西郷の人生を彩った女性の中では、いささか影が薄い印象を受ける須賀。
幕末という動乱の時代、妻には辛い忍従の日々がありました。彼女もまた、そうした典型的な女性だったのかもしれません。

そんな須賀の思いをどう描くのか、どう演じるのか。
橋本愛さんの熱演が楽しみですね。

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文:小檜山青




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【参考文献】
国史大辞典

 

-西郷どん(せごどん)特集, 幕末・維新

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