生涯で3人の妻を娶った西郷隆盛。
一人目は伊集院須賀という女性であり、2018年大河ドラマ『西郷どん』では橋本愛さんが演じておられました。
残念ながら両者は早い段階で離縁となっております。
それというのも波乱に満ちた西郷の生涯が始まった頃に結婚生活がスタートしており、必ずしも幸せなケースとは言えなかった可能性が高く、それは結果に表れているでしょう。
本稿では史実における伊集院須賀と当時の西郷を振り返ってみたいと思います。
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最初の妻・伊集院須賀
史実の須賀は天保3年(1832年)4月生まれ。
文政10年(1827年)生誕の西郷とは5才差ということになりますね。
結婚したのは嘉永5年(1852年)のことです。
彼女が20才の頃ですから、当時としてはやや遅い結婚でした。
須賀の実家は、薩摩の有力豪族である伊集院氏の流れを汲む名門とされています。
西郷家よりも上の家ですので、格差婚になりますね。しかも須賀は、結婚がやや遅い。
一体なにがあったのか?
「わけあり」の中身は?
西郷どん原作における須賀は、天然痘にかかり、顔にあばた(痘痕)が残った女性でした。
平たく言えば容姿に問題があったから、格下の西郷家へ嫁いだ――とされています。
歴史を振り返ってくると、必ず出てくるのがこの天然痘。現在では根絶されておりますが、かつては多くの人が罹患したおそろしい病気でした。
病気そのものに死の危険性があるだけでなく、生き残っても容姿が崩れてしまう、それが恐れられた原因です。
ゆえに須賀がそうである可能性は否定しきれない、といったところでしょうか。
例えば…、明智光秀の妻である妻木煕子(つまきひろこ・明智煕子)も、あばたが残り、父親が瓜二つの妹を嫁がせようとしたところ光秀が見破った、という逸話があるほどです。
※以下は妻木煕子の関連記事となります
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天然痘は、ジェンナーが確立した種痘によって予防できる病気となり、ドラマの舞台となる幕末1858年には種痘を摂取する施設が江戸に開設されておりました。
あるいは、福沢諭吉が学んだ緒方洪庵の「適塾」、長州藩久坂玄瑞の兄・玄機、会津藩の山川重英あたりも同時期に携わっています。
すれちがってスピード離婚
史実における両者は、結婚2年後の1854年に離婚しています。
しかし、これには致し方ない事情もありました。
2人が結婚した翌嘉永6年(1853年)、浦賀に黒船が来航するのです。日本中が騒然として、政局はめまぐるしく動き、薩摩藩とて例外ではありません。
西郷家は、父・竜右衛門、父・吉兵衛、母・政佐子と立て続けに不幸があり、貧しい大家族の西郷家を切り盛りをしなければならない状況。須賀にはかなり負担がかかったようです。
家の外も内も大変な状況ですから、夫婦生活どころではなかったということでしょう。しかも……。
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