篤姫と吉之助が見つめ合う大河ドラマ『西郷どん』は、当初、
「ボーイズラブに挑戦する」
ということで話題を呼んでいました。
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しかも前回4/8放送の第13話では、清水寺成就院の元住職・月照も登場して、にわかにザワザワとされた方もおられるでしょう。
というのも林真理子氏の原作で、この月照と西郷隆盛がBLの関係に陥るのです。
まぁ、常識的に考えて、エグいシーンは放送されるわけもないでしょう。
薩摩趣味(薩摩の男色のこと)は、現代の視聴者には衝撃も小さくはないと思われまして。
少々解説させていただきます。
江戸期を通して下火になった男色
江戸時代の日本の場合、時代と地域によって男色の許容にも差がある――。
以前、そんな記事を書かせていただきました。
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男色を禁止する藩もあり、その理由も至極真っ当なものです。
・深刻なトラブルを招きやすい
・儒教の観点からすると、子孫繁栄に関係ない性的行為なので、推奨されない
ザッと説明させていただきますと……。
男色がらみの愛憎問題は、嫉妬渦巻くドロドロしたものになりがちで、しばしば大事件の引き金となりました。
戦国時代の蘆名家当主・蘆名盛隆は、男色のもつれで暗殺された説があります。
日本三大仇打ちのひとつ「鍵屋の辻の決闘(伊賀越の仇討ち)」も、発端は男色がらみの揉め事です。
先ほど引用した記事にも書いたように、
【江戸期の都市で男女比の偏りが解決された】
ことで、男色は減少しました。
時代が下ると、男性の結婚年齢が低下したという背景もあるようです。
風紀引き締めの観点から禁止する藩もありました(禁止しても破る者はいましたが)。
「江戸時代以前、男色は武士のたしなみとして当然のことであった」
という言説はかなり大ざっぱでして。
確かに、滅びもしませんし、タブー視されたわけでもない。
ただし、全国規模で見ると下火になった――それが正統な評価と言えましょう。
それでもなお、但し書きが必要となりまして。
前述の通り地域差があるのです。
幕末においてもまったく男色が下火にならない地域。
その代表格が薩摩藩でした。
男らしさとしての「男色」
「江戸時代の人々は、なぜ男色を好んだのか?」
という観点をおさらいしておきます。
ただし、この場合は社会的な話であり、現代に適用できるものではありません。
1. 本人の性的嗜好
2. 好色者のたしなみとして
3. 美少年に恋をする流行があった
4. 機会性同性愛(男女比に偏りにあった都市部等の場合)
5. 男同士の絆として奨励される絆
薩摩藩の場合は「男同士の絆としての男色」が推奨されました。
この感覚は「男尊女卑」と表裏一体のもの。
「なよなよした女とむつみ合うよりも、男同士で愛し合う方がはるかに上等で、神聖なものである」
女を嫌うあまり、性的な場面においても遠ざけたのです。
生殖のためにやむなく同衾する女より、男同士の方が純粋神聖な絆が築ける、という理屈でして。
古代ギリシアの男色も、類似の理由で神聖視されていました。
「衆道」という単語からして「男の道」という意味です。
男尊女卑の気風が諸藩の中でも強く、荒々しい戦国の気風を残した薩摩。
男色が盛んになるのは、当然のこととも言えました。
薩摩藩特有の、年少者教育「郷中制度」が男色を盛んにしたという側面もあるようです。
ただし、似た制度「什」のあった会津藩では、男色が原則禁止とされていました。
制度面というより、やはり気風の部分も影響してますね。
薩摩の武士にとって、男色相手は尊重すべき相手でした。
彼らは美少年に振り袖を着せ、相手を「稚児様」と呼び、日傘をさしかけエスコートしました。
その尽くし方は、西洋の騎士道におけるレディへの態度のようなものです。
しかしそうはいっても血気盛んな武士同士の男色です。
感情のもつれが暴力や刃傷沙汰におよぶこともあり、そこで殺し合うのは男らしさの極致と言えました。
以下の参考記事もよろしければ。
薩摩といえば「男色」だった
薩摩の男色は、江戸時代、全国的にも有名でした。
井原西鶴作『好色五人女』は八百屋お七が特に有名。
その中に「おまん源五兵衛」という話があります。
ストーリーを要約しましょう。
昔、薩摩に男らしい美青年・源五兵衛がいました。
しかし彼は薩摩の男であり、女には目もくれず、美少年をこよなく愛していました。
ところが立て続けに愛する美少年が二人も亡くなってしまい、世をはかなんだ五兵衛は出家。
弔いの道に生きることを決めたのでした。
そんな五兵衛に恋した娘が、おまん。
おまんは五兵衛に恋文を送っていましたが、見向きもされませんでした。
五兵衛が出家したと知ったおまんは、早速行動を開始します。男装して、山中の庵に五兵衛を訪ねるのですす。
そして、切々と思いを訴えました。
五兵衛は突然あらわれた「美少年」の告白に心動かされ、ついに同衾することとなりました。
ところが、あるべきものがありません。
とはいえ……相手はあまりに美しい。
「こげんいも美しかのならば女でんよか。恋をすうのなら、男でん女でんよか」
万兵衛はついに、おまんの思いに応じました。
おまんの両親も「おまんがそげんに好きな男とならばよか」と公認。おまんの両親は大金持ちで、二人は仲良く暮らしたとのことです。
めでたし、めでたし。
西鶴としては「男色がデフォルトの薩摩の男を、ひねりにひねって女色に着地されるところが、みどころやで〜!」という腕のふるいどころだったのではないかと思います。
この物語は大正時代に『今様薩摩歌』というタイトルで歌舞伎の演目化されましたが、五兵衛が二人の美少年を愛していた設定はバッサリカットされてしまいました。
明治5年の新聞記事には、こんな内容がわざわざ掲載されました。
先頃鹿児島から東京に戻った人によれば、鹿児島県にあった男色の風習がやや衰えたとのことである。そのためか、妓楼を開こうと企画する者すらいるとか。
それが新聞記事になってしまうのか、と思わず突っ込んでしまいますよね。
さほどに有名だったということです。
明治維新で広まる「男色」
武士の時代が終わったのであれば、「男色」も終わりそうなもんですよね。
しかし、そう単純な話でもありません。
明治時代となると、西洋から同性愛を禁忌とする価値観が持ち込まれました。
その一方で、幕末までに全国規模では下火となっていた男色が息を吹き返していたのです。
明治維新といっても、皆が手放しで喜んでいたわけではありませんでした。
生粋の江戸っ子は、
「維新が起こったせいで、日本人はダメになってしまった。狡猾な薩長土肥の田舎者どもが持ち込んだ野蛮な風習が、将軍様のお膝元である江戸にまで広まってしまった」
と嘆いたものです。
そんな野蛮な風習とされた中に「薩摩趣味(男色)」がありました。
昨今の青少年が美少年を追いかけ回すのは、薩摩のせいだというわけです。
明治維新が男色を復活させた、という理屈になります。
当時の学生が、美少年を薩摩方言由来の「よか稚児」「二才(にせ)さん」と呼んでいたことが、その根拠とされています。
また、明治の男子学生の間では『賤のおだまき』という本が大流行したことも。
西鶴を持ち出すまでもなく、薩摩の人が書き、薩摩で愛された男色文学も存在しました。
それが『賤のおだまき』です。
この言葉から源義経の愛妾・静御前を連想する人もいるかもしれませんが、話は違います。
薩摩に実在した美少年・平田三五郎と、彼を愛し義兄弟の契りを結んだ吉田大蔵清家が繰り広げる、純愛ストーリー。
現代語訳『賤のおだまき: 薩摩の若衆平田三五郎の物語 (平凡社ライブラリー)』も出ております。
こちら、史実をもとにした物語で、作者は「薩摩のとある女性」とされているそうで。
明治の青少年たちの間で、この本が大人気となったのです。
彼らは、自分たちも三五郎と大蔵のような恋をしたいと憧れていたのでした。
当時の学生の間で「硬派」という意味は、現在のそれとは異なります。
「女のような軟弱な者を愛するのは“軟派”である。男なら、男を愛してこそ“硬派”だ」
当時の「硬派」や「薩摩趣味」は、要するに男色を好むこと。
こうした風潮が、深刻な事態を起こすことにもなります。
明治30年代、白い袴を履いた「白袴隊」と呼ばれる集団がいました。
彼らは美少年を付け狙う不良青少年で、道行く美少年を物色していたのです。
そして明治32年(1899年)、道行く少年に声を掛け、強引にわいせつ行為に及ぼうとした事件が起こります。
街中で起こった事件に、世間は騒然。
前述の通り、明治維新以降は、男色を忌避する思想が西洋から導入されています。
我が子の身の上を心配する親。
治安悪化を懸念する声。
西洋導入の思想。
女子学生の増加。
とまぁ、様々な条件が揃い、学生が男色を嗜む風潮は、退潮してゆくことになります。
大河でBLはどうなのか
さて、話を最初に戻します。
薩摩の「男色」をBLとして扱うという話には、少々厳しいものがあるのではないかと思います。
最近は性的嗜好に対する見方が変わり、同性愛者を嘲るような表現は忌避されるようになりました。
自然体の同性愛者の姿がドラマ内で見られることも、珍しくなくなってきています。
それでは「薩摩の男色」をドラマで扱うのはどうでしょうか。
この問題は、同性愛であるという点ではありません。
男らしさと一体だった武士の「男色」は、現代人の目から見ると暴力的であり、場合によっては未成年の性的搾取となります。
古代ギリシアの同性愛や、日本の「男色」は、上の立場である年長者が、相手の同意を得る手続きを無視するような関係も含まれています。
成人同士の合意による同性愛とは、まったくの別物と考えるべきです。
過度に美化したり、面白半分で取り上げたりするべきものか。
慎重になる必要があるでしょう。
戦国時代の大河で、生々しい乱取りを描くことが難しいように、リアルな「男色」を再現することはやはり難しいのではないでしょうか。
本作では西郷のフェミニスト的な部分、女性の権利、BLを描く点が見所だそうです。
薩摩の男色が男らしさを求めた結果であり、女性嫌悪と表裏一体であったことを考えると、両方を取り入れることは矛盾するのではないかと思えてしまいます。
そもそもBLやブロマンスと男色は、男同士の愛情という共通点はあれども別物。
そこまで深く考えたうえで男色を描くのか。
それとも単なる流行りものだからBL描写を入れるのか。
気になるところではあります。
文:小檜山青
【参考文献】
『男色の日本史――なぜ世界有数の同性愛文化が栄えたのか』ゲイリー・P・リューブ
『薩摩秘話』五代夏夫
『美少年尽くし: 江戸男色談義』佐伯順子