幕末・維新

水戸藩や薩摩藩が「ビスケット」に興味を持った理由がナルホドすぎた

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薩摩は東京の風月堂へ5,000人分を依頼

どこからか聞いたのか。
薩摩でも島津斉彬が「蒸餅」という「兵糧パン」の開発をさせていたと言います。

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残念ながら斉彬は倒幕の前に亡くなりましたが、薩摩藩は研究を続けていたようで。戊辰戦争のときに東京の風月堂へ「金は出すから1~2年は保存できるように作ってほしい」と依頼、乾パンの原型のようなものを5,000人分も作らせたと言います。

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兵糧としてのビスケットはやがて乾パン開発に枝分かれしていきましたが、今日の軍用食糧(レーション)でも、ビスケットを採用している国は多いようです。

水戸藩や薩摩藩の目のつけどころは良かったんですね。

余談ですが、アーミーナイフに缶切りや栓抜きがついているのは、「レーション開封に銃器や銃剣を使わせない」という目的があります。
缶切りが開発されたのも、缶詰ができてかなり経ってからのことだったので、戦場では銃をぶっ放して(!)開けることも多かったとか……。

現代でも、非常食として品質保持期限をかなり長くしたビスケットが売られています。

乾パンだけだと飽きてしまいますし、追いつめられたときほど食事はレクリエーションの比率が高くなるもの。

少し遊び心や嗜好性の高いものも入れておくと、いざというときの癒しになるかもしれません。

 

長月 七紀・記

【参考】
『明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)』(→amazon
ビスケット/wikipedia
全国ビスケット協会
柴田方庵/wikipedia

『明治洋食事始め――とんかつの誕生 (講談社学術文庫)』(→amazon



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