近藤勇/Wikipediaより引用

幕末・維新

甲州勝沼の戦いとは? 甲陽鎮撫隊となった新選組はついに解散へ

慶応四年(1868年)3月6日は、戊辰戦争の局地戦の一つ・甲州勝沼の戦いがあった日です。

戊辰戦争は同時期に各地で戦闘が起きているので、時系列ごとに追っていくのは難しいのですが……この戦いの主役である、新選組の側から見ていきましょう。

 

勝に命じられて甲州へ

鳥羽・伏見の戦いの後、新選組は、先に船で江戸に向かっていた徳川慶喜松平容保を追って、江戸へ戻ってきていました。

そして新選組局長・近藤勇は、勝海舟から「ちょっくら甲府まで行って、新政府軍を止めて時間を稼いでくれ」(意訳)と言われます。

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近藤はこれを引き受けました。

新選組は「甲陽鎮撫隊」と名を改め、近藤勇や土方歳三らは偽名を使って、一路甲府へ向かいます。

戦闘の舞台となったのは、現在の甲州市勝沼町。今ではぶどう畑やワイナリーなどで有名なところですが、当時は信濃~甲府~江戸を繋ぐ甲州街道(現・国道20号の一部)の宿場町のひとつでした。

 

新政府軍を食い止めたい

勝沼を越えると、新選組にとっては故郷である多摩も近くなります。

新選組の隊士の中には、実家や家族を守るために、新政府軍を食い止めたいと考えていた人もいたことでしょう。

「幕府側としては、新選組が扱いにくかったから別行動を取らせた」なんて話もあり、当時の時代情勢が滲み出ていますが、例えば敵方の西郷隆盛にしても江戸にテロ部隊(相楽総三赤報隊など)を放っており、各勢力の思惑が激しく交差します。

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と、この辺りで肝心の甲陽鎮撫隊で問題が起きます。

甲陽鎮撫隊は新選組のメンバーだけで構成されていたわけではなく、やる気があるのかないのかわからん連中が多くいたからです。

そのため、近藤は率いるだけでも一苦労。

やる気(ry)な連中のご機嫌を取るために道中で大名行列ばりの遊びをした上、天候の悪化もあって、甲府到着が予想よりはるかに遅れてしまいました。

 

ゲリラ戦に持ち込めれば、少しは勝機も?

既に西洋式兵器の力を見せつけられている後ですから、近藤たちには幕府から同等の兵器を与えられておりました。

しかし、こんな調子では訓練する時間もありません。運ぶ人員すら不足していたせいで、途中で半分ほど捨ててしまったそうです。

戦う前から勝敗が決まっていたようなものです。それでも……。
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