幕末・維新

薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさ! 新選組も警戒した「一の太刀」とは

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薩摩示現流&薬丸自顕流
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「一の太刀を疑わず、二の太刀要らず」

示現流最大の特徴は、ともかく一撃目で仕留めるということです。

二の太刀、三の太刀と考えてしまうと、迷いが生じてしまう。そうならないよう、一の太刀で倒せということです。

一の太刀にあらんかぎりの気魄を乗せて、敵を叩き潰す、一撃必殺の技。

刀は攻撃のためのものであって、防御の技すらないという、極端さ。

薩摩藩士は、朝夕何千回と、絶叫しながら木刀を振り下ろす示現流の稽古に励みました。

そうした激しい稽古で、必殺の一の太刀を身につけたわけです。

※練習の様子・4:30頃から打ち込みが見られます

動画で見ているだけで、その迫力で脂汗がにじんできそうな思いがします。映像ではなくナマで見たらさらに迫力があることでしょう。

それも真剣で打ち込んでくるとなると、さすがの近藤勇でも恐怖を感じ、常人ならば耐えられないような迫力であることは、想像できるかと思います。

修行動画を見てもおわかりの通り、示現流は江戸等の都市部で洗練されていったスマートな剣術とは異なるものでした。それがゆえに、天然理心流と同じく殺人術としての威力を残したわけです。

ガード不能、ヒットすれば即死という恐ろしい威力。

薩摩藩士と戦った相手は、防御した刀すら押し切られ、そのまま自分の体にめり込むような恐ろしい死に方をした者もいたとか……どんだけ……。

このようなイメージから、一の太刀を外したら終わりというイメージもあります。

ただし実際には二の太刀以降の技もあります。

 

生麦事件でイギリス人を斬った薬丸自顕流

幕末期の薩摩藩士は、示現流からの技を元に生み出された「薬丸自顕流」の使い手も多くおります。

郷中教育では、示現流と共にどちらも採用されていました。

薬丸自顕流は、薩摩藩士・薬丸兼陳が野太刀の技をもとに編み出した剣術です。

例えば生麦事件では、薬丸自顕流の使い手が馬上のイギリス人を瞬時にして斬り捨てているわけで。これも薬丸自顕流の鋭い独特の太刀筋あればこそと言われております。

生麦事件の報告を聞いた外国人は、
「オオウッ、サムライソードの威力、怖い……」
と戦慄しました。

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飛び道具を持っていても構わず殺しに来る、そんなの聞いていませんよ、というところでしょうね。

実際に銃を構えていたのに、示現流の一の太刀が、銃ごと斬って倒した事例もあるそうです。

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薬丸自顕流の特徴は「猿叫」と呼ばれる独特の声です。

フィクション等では薩摩藩士といえば「チェストオオオ!」と叫びながら襲いかかってくるというイメージがありますが、猿叫はこれとはまったく違います。

どちらにせよ、迫力満点で怖いんですけれどもね。

形容が難しい叫びは、稽古動画をご覧ください(音声注意)。

 

なお、当時の薩摩藩主・島津斉興(斉彬や久光の父)は、この猿叫に不快感すら覚え、剣術として採用したがらなかったそうです。

しかし調所広郷が推薦し、採用されたのです。

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幕末の薩摩藩士は、西郷隆盛のように右腕を負傷した場合をのぞけば、だいたい皆、薬丸自顕流や示現流の使い手と見て間違いありません。

 

げに恐ろしき、必殺の一の太刀を持つ薩摩示現流

さらりと流してしまいそうな、薩摩藩士同士による粛清事件である「寺田屋事件寺田屋騒動)」も、

「示現流の使い手である薩摩藩士同士が、狭い屋内で戦いあった」

と想像すると、一気に恐ろしさが増すと思います……。

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各種の薩摩コンテンツで、藩士の若い者たちがドジっ子っぷりを繰り広げていても「しかしこの男は示現流の使い手である」と脳内補完すれば、緊迫感がアップすること間違いなし。

薩摩藩士は皆強い、一撃必殺技持ちなのです。

西郷自身は、右腕の負傷のために剣術はできませんでした。

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ただし、彼の行動様式は示現流に通じるものが見えてきます。

西郷は、敵地に単身乗り込んで解決するということを、よく提案しております。

全身全霊をこめて相手に向かって行く気魄――これぞまさしく薩摩示現流そのものではないでしょうか。

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文:小檜山青

【参考文献】
西郷隆盛公奉賛会『西郷どんと薩摩士風』

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