渋沢栄一の妻・渋沢千代(尾高千代)

渋沢千代/wikipediaより引用

幕末・維新

渋沢栄一の妻・千代(青天を衝け橋本愛)史実でも気高く聡明な女性ゆえ

大河ドラマ『青天を衝け』で、一つの見所になっていた渋沢栄一と妻・千代との交流。

ずっと不在だった夫の帰りを待ち、耐え忍んでいた千代は、実際どんな女性だったのか?

明治維新後の新政府に出仕した栄一は、大阪の妾を本宅へ連れてきて共に暮らすというトンデモナイことをしでかしましたが、果たして史実では……?

本稿では、栄一の妻・渋沢千代の生涯を史実から振り返ってみたいと思います。

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幕末に恋愛結婚はあったのか?

『青天を衝け』では、主役以外にも恋愛結婚をする二人が多数出てきます。

現代の視聴者にあわせてのこととは考えられますが、あくまで演出の都合と考えてください。

たとえば千代の弟・平九郎と栄一の妹・ていが恋愛感情を深めてゆく場面がありました。

しかし、平九郎とていの結婚は渋沢家存続のためのものでした。

栄一がパリに旅立ち、そのまま戻らなかったら家が断絶してしまう。そうならないために、平九郎を見立て養子にして妹・ていの婿とすることで防ごうとしたのです。

そうなる前に平九郎とていの仲がよかった可能性はあるでしょう。ただし、この二人に現代人が想像するようなラブコメディ展開があったとすることは無理がありますので、ご理解ください。

幕末とはいえ、恋愛結婚した夫婦は当然おります。ただし、継ぐべき家があり、かつ志士ともなればまた別の話となります。そこは考えておきましょう。

それでは、栄一と千代の場合はどうでしょうか。

 

気が強く、誇り高き千代

千代は、栄一の師匠・尾高惇忠の妹にあたり、栄一の一歳年下に当たります。

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幼い頃から誇り高い千代は、こんな逸話があります。

まだ十歳ほどの千代が親戚の家にいたとき、行商人が絹の布地を売りに来ました。綺麗な布地を眺めていると、親類がこう声をかけてきたのです。

「お前たちくらいの歳の子は、こう言うものを見れば欲しくなるだろう」

千代はムッとしました。

確かに綺麗で眺めてはいるけれど、無闇やたらと欲しがるものか! そう思い、適当な返事をしていたのです。

そんな勝気で誇り高い少女を見て、親類は「この子は只者ではない。大物になる」と尾高家に伝えたのでした。

まだ幼いのに、ものをやたらと欲しがらず、耐える姿が印象的だったのでしょう。ものよりも誇りを大事にする。それが千代でした。

千代は当時の女性らしく、最低限の読み書き算盤を習った程度でした。しかし兄が栄一たち男子に四書五経を教えている講義に耳を傾けていたのです。

あるとき、講義のあと惇忠に「あの講義の内容はどういう意味ですか?」と千代が尋ねます。

兄は妹がどうしてそんなことを知りたがるのかと「うるさい。女がそんなことを知ってどうなるのか」と返します。すると千代は反論しました。

「女だろうと人は人です。人として道理を知りたがるのは当然でしょう。兄様の言葉とも思えません」

それを横で聞いていた母は、兄にそんなことを言うものでないとたしなめます。

しかし惇忠は千代の言うことはもっともだと悟り、妹たちにも『論語』を教えることにしたのでした。

千代は農家の女性ですから、常に家事と仕事に追われていて読書をゆっくりとする暇はありません。

それでも耳で兄たちの講義を聞き、聖賢の教えとは何か考え、悟るようになってゆきました。

読み書きはそこまでできないけれど、ものの道理は理解する女性となったのです。難しい漢字は読めないと本人も語っていたものの、読んで聞かせて解釈を問いかけると、キッパリと返すことができたとか。

千代は典型的な幕末の女性でした。

安政の大獄】で投獄された梁川紅蘭。

動乱の京都に乗り込み、久坂玄瑞らの知遇を得た松尾多勢子

会津戦争で戦った山本八重。

もう一人の千代もいます。吉田松陰の長妹である千代は、兄の教えを守り抜いた烈婦として名を残しました。

女でありながら学び、強い気性で生き抜いた。そんな女性たちの典型が千代でした。

 

幕末の烈婦として、夫を見送る新妻・千代

そんな千代と栄一は、当時としてもまだ若い栄一が満18歳になった歳に結婚しました。千代は17歳です。

一歳しか歳は離れておらず、近所付き合いもしていて、いとこ同志でもあるこの二人は、兄と妹のような関係でした。

細面で色白、なかなか美しい千代に栄一がときめいたとしても不思議はなく、恋心があっても不思議ではありません。

『青天を衝け』では、「胸がぐるぐるする!」と千代への恋心を訴えていました。

史実をたどりますと胸にあったのは別の思いだと推察できます。若き栄一には恋よりも大事なものがありました。

それは水戸学に傾倒していた尾高惇忠より引き継いだ、憂国の志です。

栄一は16歳の時、自分に対して尊大な態度をとった代官に怒りを募らせていました。

そんな怒りと、当時流行した水戸学、政情不安が澱のように溜まってゆきます。

近隣には歳の近い喜作や千代の次兄・長七郎もおり、話がどんどん盛り上がってしまう。これは危うい。栄一たちを指導する千代の兄・惇忠は、過激な尊王攘夷を唱える水戸学の信奉者です。

そこで父・渋沢市郎右衛門は、栄一に身を固めさせ、若き情熱を鎮めるために、妻を持たせたのでした。

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千代に期待された役目は、家に栄一を繋ぎ止めるブレーキ役となること。

しかし、そんなものは焼け石に水です。

『青天を衝け』では、22歳の栄一が長男の夭折を嘆く場面がありましたが、実際にはもっと大事なことがあったのです。

長男がすぐ息絶えようとも、また千代が妊娠しようとも、栄一は世直しばかりに気を取られていたのでした。

千代はそんな夫の様子を横目に見ながら、裁縫をしていました。

千代からすれば、夫をああも情熱的にした要因は、兄由来の教育だと理解しています。誰も責められたものではないのです。

また千代自身も、漢籍に親しみ、英雄の志を理解しています。夫にすがるようなことをしたら、かえって丈夫(立派な男)の妻失格である。そう自らに言い聞かせながらも、手にした布には涙が落ちる。そんな日々を過ごしていたのでした。

『青天を衝け』では姑・えいたちは優しく千代に接しています。

ただ、それもドラマならではの脚色と言えます。

千代は華やかでほっそりとした美人であったために、質実剛健を好む渋沢家からすればふさわしくない嫁とされました。もっと骨太で質実剛健な嫁でよいとされていたのです。

栄一は水戸学由来の熱狂的な尊王攘夷思想にのめり込む。

千代は妻として支えなければならぬと気持ちを抑え込む。

現代人からすれば、あまりに厳しい新婚生活でした。

ただ、幕末志士の典型とも言える夫婦像で、例えば栄一よりも年上の世代、川路聖謨と高子夫妻はもっと微笑ましい逸話が残されております。

栄一と千代という極めて厳しい夫婦の姿は幕末ならではのものといえました。

 

夫を愛で縛らない――賢妻の生き方

文久3年(1863年)、尊王攘夷に熱狂した栄一は、高崎城焼き討ちテロ計画でお尋ね者となり、故郷を後にすることとなります。

【伊勢参り】を名目に西へ逃げてゆく夫を、千代は悲しみを堪えて見送るほかありません。

夫婦になって5年、志はわかっています。

こうなることは覚悟の上でした。慰めの言葉はいりません――そう涙を落とし語る妻に、栄一は驚きつつ感謝し、生まれたばかりの幼い娘・歌子を託して旅立ったのでした。

このあと、夫婦が再会したのは慶応元年(1865年)のこと。

募兵で血洗島付近まで立ち寄った栄一に、娘を抱いた千代は再会しました。京都へ戻る前に栄一が一泊した深谷宿でのことでした。

そうはいっても、お互い無事である顔を一瞬確認した程度で、語り合う時間もありません。

『青天を衝け』では栄一が「次を仕込むべ!」と千代に語りかけておりましたが、あれはあくまでフィクションです。

一瞬の再会であっただけではなく、二人の性格からしてもありえないことがわかります。

いくらなんでも栄一が、あんな恥ずかしい言葉を堂々と言うとも思えません。夫の出世を妻として喜ぶ、それが実際のところでしょう。

それ以上に、千代はああ言われたらきっと怒ることでしょう。

栄一は千代に文を出しても返事が来ないとこぼしていました。

これには千代の気遣いがあるのです。そこにはたとえ夫婦であっても愛情を出さないことがよいという、千代なりの美学がありました。

千代は夫への愛すら堪え、あえて三通に一度出す程度に抑えていたのです。

あまりに手紙を書くと、寂しく心弱い女と侮られてしまう。そんな誇りゆえに、千代は自制していたのでした。

千代は漢籍を好みます。

ここで考えたいのが、玄宗と楊貴妃のこと。『長恨歌』で知られるこの二人は、深い愛情のシンボルであるとともに、愛に溺れてなすべきことを忘れたことへの戒めとして、日本でも親しまれてきました。

源氏物語』の冒頭でも、光源氏の母・桐壺が楊貴妃のように寵愛を受けたと語らえています。

このように、男の鉄腸を蕩かすような熱愛は戒めるべきだと、彼女なりに考えていたのでしょう。

美しい妻で栄一を止めようとした、そんな市郎右衛門の気遣いは、千代の固い決意の前では効果を発揮するはずもなかったのです。

そうしたことを踏まえますと、夫から「次を仕込むべ!」と千代が言われたら、むしろ怒るのではないかと思えます。

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