池田屋事件

近藤勇/wikipediaより引用

幕末・維新

池田屋事件で新選組の近藤や沖田が突入!攘夷派の志士30名を排除す

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他の新選組メンバーは、池田屋から飛び出してきた逃亡者を捕縛する役目でした。

突入した四名のうち、最初に敵を斬ったのが沖田でした。

しかし、猛暑による疲労から意識を失って戦線離脱。

慌てて逃げる敵を近藤・永倉・藤堂の3人で襲いかかっていきます。

天井にぶら下がっていた「笠行灯」の光で、相手を見失わないで済んだ――という生々しい記録も残っています。

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吉田稔麿も犠牲者に……

かくして新選組は攘夷派を徹底的に追い詰めました。

応戦して斬殺された者はもちろん、池田屋から逃げたはいいものの追いつかれた者、即死はしなかったものの後日このときの傷が元で死んだ者、捕縛されて後々処刑された者まで、多くの攘夷志士が命を落としました。

特に長州藩にとっては高杉晋作久坂玄瑞と並び称される吉田稔麿(としまろ)を失ったのは痛手だったでしょう。

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事件の終了時点では7名が斬殺され、23名が捕縛となりました。

当初は「この場で全員ブッコロ!」の予定だったそうですが、後から新選組の援軍が来て余裕ができたため「一応生かして捕まえとけ」と変更されたのだとか。

前者のままだったらもっと死人が出てたでしょう。

ということで、佐幕派にとっては「けしからん志士どもを成敗した」という事件なのですが……。

当然、被害者側から見れば「新選組憎し」としかなりませんよね。

また、現場にいたからといって、関係なかったであろう池田屋のスタッフまで死んでいます。

まぁこの辺の時代は「あいつもこいつもアヤシイからブッコロ!」が当然だったので、誰もそんなこと気にしなかったのかもしれません。

もちろん池田屋自体もタダでは済まず、主人はとっ捕まってそのまま牢屋で亡くなり、旅館も半年以上営業停止になりました。

 

 

今は某チェーンの居酒屋になっているそうで

その後、池田屋は、親族が場所を改めて再出発しながら、早くに畳んだらしく、現存はしておりません。

事件当時の建物は50年ほど前まで残っていたそうなのですけども、そこもまた取り壊されてテナントになったりパチンコ屋になったり、すっかり流浪の身に(不動産ですけど)。

今は某居酒屋になっているようです。

池田屋跡

ちなみにこの事件の発端となった長州の計画は、新選組のデッチ上げだったという可能性も指摘されたりします。

その後の展開を見ると、でっち上げとも思えないんですけどね……。

というのも長州藩は

という流れで、池田屋事件の後に禁門の変で御所にぶっ放し、ついには京都から締め出されています。

さらには長州征伐が敢行されて滅亡寸前……というシチュエーションから、なんだかんだで薩長同盟により盛り返していくのですが、それはまた以下の記事でご覧ください。

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池田屋事件は、新選組の名を天下にしらしめると同時に、長州藩を苦難の道へと落としていくのでした。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
菊地明/伊東成郎/山村竜也『新選組日誌 上 (新人物文庫)』(→amazon
歴史群像編集部『全国版 幕末維新人物事典』(→amazon
安岡昭男『幕末維新大人名事典(新人物往来社)』(→amazon
池田屋事件/Wikipedia

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