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幕末に「狆」へ注がれた熱いまなざし
幕末期になると、狆は来日外国人から熱いまなざしが注がれます。
黒船のペリー提督も、帰国の際には狆を連れ帰ってほど。
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とりわけ熱心に欲しがったのが、イギリス人でした。
同国には、もともとチャールズ2世がこよなく愛した「キング・チャールズ・スパニエル」という犬種がおりました。
上掲の絵がキング・チャールズ・スパニエルです。
なんだか狆の面影がありますよね。
しかしこの犬は、時代がくだるにつれて混血が進み、どういう犬種であったか、わかりにくくなっていたのです。
そこで来日したペリーやイギリス人は考えました。
『もしかして、日本の貴人が買っている狆という犬は、キング・チャールズ・スパニエルのことではないだろうか?』
ジェームズ1世と徳川秀忠の間で?
確かに辻褄はあうのです。
イギリスと日本が貿易をやめる前、ジェームズ1世と徳川秀忠の間では交流がありました。
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その際に狆がイギリスにたどりついてもおかしくない……そう推理されたのです。
※現在でも、狆かペキニーズが祖先と推測されています
なんせ王室がらみの犬ですからイギリス人も熱くなり「幻のチャールズ王の犬を再現できるなんて!」と、絶対に狆をイギリスに持ち帰ったるで、と考えたわけです。
コトの真偽はともかく、狆はイギリスにおいても貴婦人のハートをがっちりと掴みます。
ヴィクトリア女王に献上された狆は無事に繁殖し、王室の女性の膝の上で眠るようになったのでした。
日本人は西洋の犬種を喜び、西洋人は日本の狆に熱狂した――なかなかおもしろい犬事情が見えて来ます。
もしも島津斉彬が長生きして老後をノンビリ過ごすことができていたら?
同じく犬好きの西郷隆盛と共に、外国人向け狆のブリーダーになっていたかもしれませんね。
そのとき綱吉が狆を抱く肖像画が残されていたら、もっと愉快だったと思うのですが。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編』(→amazon)