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【瓦版から見る幕末維新】
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江戸の庶民は幕府を応援していた
一方、江戸の瓦版では傾向が違います。
諷刺画にせよ、ハッキリと幕府を応援する傾向が出てきます。
徳川慶喜が厭戦傾向だとわかると、彼らは会津藩や庄内藩を応援するようになっていきました。
江戸っ子たちは、新政府軍をまったく歓迎していません。
「江戸はおはぎ(萩=長州)とおいも(=薩摩)にしてやられた」と悔しがっていたのです。
彼らにすれば、将軍様のお膝元で好き勝手する田舎侍という認識。
江戸城の無血開城前夜に【薩摩御用盗】と呼ばれる暴漢が江戸の各地で凶悪事件を起こしていました。
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その後、江戸に乗り込んで来た新政府軍は、些細なことで江戸っ子を斬り殺します。
たとえば……。
官軍の肩についていた『肩章』を剥ぎ取っていた男がいました。
しかし啖呵を切って、惨殺され、江戸っ子は彼に惜しみない拍手喝采を送りました。
わけのわからん権威を笠に着て威張り散らす彼らのことを、江戸っ子は歓迎しなかったのです。
そのストレスのはけ口が、瓦版でした。
そもそも全国規模で歓迎されていない
突如、権力を握り、横暴な振る舞いをする「おはぎとおいも」。
明治時代は「薩長の人にあらざれば、人間にあらざる者の如し」と嘆く人が出るほど、極端な藩閥政治がまかり通りました。
庶民の実感、江戸っ子の実感からすれば、明治維新とはそういうもの。
田舎侍が好き勝手するという、そういう印象であったのです。
「上からは明治だなどというけれど、治明(おさまるめい)と下からは読む」
この狂歌からは、江戸っ子の新政府への反発が読み取れます。
何が維新だ、ふざけんな、という思いに溢れていますね。
ですので2018年に「めでたい150周年目だ!」と言われたとしても、シラケムードになって当然ではないでしょうか。
東京は地方出身者の集まりだとは言いますが【もしも薩長土肥に人気があったら】それが幕末から今までドコかで語り継がれるはずです。それこそ、わずか150年前のことです。
ところがそういった雰囲気もない。
幕末史を語るうえで、庶民目線の考え方やメディアのありかたは、あまり重視されません。
しかし、なぜ「明治維新150周年はイマイチ盛り上がらないのか? ご当地ネタになってしまうのか?」という問いかけには、有効なヒントが見えて来ます。
答えは【そもそも全国規模で歓迎されていない、ばかりか、主に東日本では反発された】ということです。
愉快ではない話かもしれませんが、そこはもう少し考えるべきだったのでは……。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
森田健司『江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体 (歴史新書y)』(→amazon)
一坂太郎『明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す』(→amazon)
『国史大辞典』