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【瓦版から見る幕末維新】
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「安政の大地震」を報じる
大災害が起こったとき、人が気にするのは愛する人の安否でしょう。
被災地の様子を知って胸を痛めるのは、幕末も現代も同じ。
【安政の大地震】の際にも、こうした人々のために瓦版が発行されました。
このとき、絵師として名を馳せたのが、当時歌川国芳一門随一とされる落合芳幾でした。臨月の妻が圧死するという悲運に巻き込まれながら、芳幾は筆を執り続けたのです。
彼の描く崩壊する江戸の街は圧倒的でした。のちに芳幾は、錦絵新聞の挿絵を描く絵師として、明治を生きることになります。

安政の大地震絵図/wikipediaより引用
第一報は、被災地支援情報や被害情報です。
当時も被災者を救うためのボランティアが存在しており、「お救い小屋」という当座の衣食住をまかなうシェルターが作られました。
公的支出もありますが、ボランティア精神で金や物資を提供する人もいたのです。
こうしたボランティアをした人の「施し名前番付=ランキング」も作られていました。
江戸時代の人だって「こんなに偉いことをした人は誰だろう、知りたい!」と考えたわけですね。
もうひとつ、復興支援というか、「地震を笑い飛ばそう」という瓦版もありました。
「鯰絵」です。
当時、地震は鯰が暴れるためであるとされていました。
その原因となった鯰が被災者救助をしている絵です。
こうした鯰絵は、地震を封じる願いをこめたものでもありました。
幕末はスクープの宝庫
幕末は、実はニュースとスクープの時代です。
ネタになる事件は枚挙に暇がなく、黒船来航や外国人来航にとどまらず……。
どれもこれも、庶民の好奇心を刺激し、瓦版にとっては絶好のネタでした。
以前からあった「火消しの活躍」「心中事件」「仇討ち」などの定番ネタの中に、歴史上の大事件がバンバン報道されました。
ただ、その数々のスクープが、自分たちの日常をひっくり返すとは、誰が考えていたことでしょう。
【鳥羽・伏見の戦い】後に発行された瓦版は、徳川慶喜や松平容保を諷刺するものです。

徳川慶喜/wikipediaより引用
かといって新政府軍を歓迎するものでもない。
なにせ、薩摩訛りで話し、強盗殺人を行う【薩摩御用盗】なる集団が暗躍しているのです。もはや奉行所も無力化し治安は悪化。明日をもしれぬ運命が江戸を覆ってゆきました。
そんな暗黒の日々の合間、無聊を慰めるものが瓦版であり、錦絵でした。
幕府が弱まったからこその出版。当時の瓦版にせよ、錦絵にせよ、各勢力の動向をつぶさに追いかけ、風刺しています。
長居する迷惑な田舎者として描かれる薩長。
ガキ大将の薩長の背中にいるのは、おむつをつけた明治天皇。
ギリギリの風刺を行う側も、工夫はこらしています。こうした出版物には版元印もなければ、絵師の名前もありません。絵のタッチから、歌川国芳一門が多いと推察できます。
そんな歌川国芳一門の一人、月岡芳年は弟子を連れ、上野で筆を執りました。
畳を重ねてバリケードを築く。経帷子を首にかけ息絶え絶えになる。生首を肩にかけて歩く。血まみれの握り飯を口に運ぶ。負傷した仲間を気遣い、水を飲ませる。
描かれたのは、凄惨極まりない勇者たちの姿でした。
そんな戦い抜く彰義隊士たちの姿を描いた『魁題百撰相』(かいだいひゃくせんそう)は、幕府に殉じるものたちの魂までも写し取ったのです。
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