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【文久遣欧使節団】
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オランダで醤油! ロシアで大根おろし!
よほど刺身でも食べ続けていたのでしょうか?
一行が持参した醤油は、どんどん減り続けていました。
ところがなんと、オランダで醤油が販売されていたのです。
まさか日本人が来るとは思っていなかったでしょうに、なぜ大量の醤油がオランダにあったのでしょうか。
貿易をしていたとはいえ、ちょっと不思議ですね。
福沢は「さすが三百年貿易している国は違う!」と大喜びでした。
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オランダの次にロシアに立ち寄った一行は、更にびっくり仰天。
今度はなんと、
・日本酒
・緑茶
・大根おろし
・箸
までついてきたのです!
福沢はじめ、一行は動揺しつつも冷静に考えました。
「ロシア人がこんなことを思いつくわけがない……絶対に日本人が背後にいるだろう」
果たしてその通りで、密航していた日本人・増田甲斎がもてなしていたのです(画像は港区HPにあります)。
密航者らしく、彼は使節団の前に現れることはありません。和食を食べる一行を遠巻きに見守っていたのです。
ロシアのあとの目的地はポルトガルでした。
ポルトガルは海産物が多く、タコやイワシが名産物。
名物料理「サルディーニャス・アサーダス」は、シンプルなイワシの塩焼きですから、日本人の口にあいます。
こうした料理を肴にポートワインを楽しみ、一行は帰路についたのでした。
果物とアイククリームとお酒が大好き
果敢にも洋食にファーストコンタクトをした日本人の記録を見ますと、食べ慣れない肉類、乳製品に苦戦したようです。
現在ではバターの風味は香ばしく風味豊かなものとして人気がありますが、当時の日本人にはきついものでした。
そういえば、いかにも西洋めいていて口に合わない、西洋かぶれだという意味で「バタ臭い」という言葉もありましたね。今は半ば死語のようなものですが。
一方で好まれたのが、果物、アイスクリーム、酒です。
パイナップルやデーツといった初めて出会う果物を、桃のようだとか、干し柿のようだとか、知っている味と比較して、熱心に記録に残しています。
アイスクリームについては驚異的な人気。
乳製品でも甘く冷たいアイスクリームは、不思議で美味しい食べ物として日本人を魅了したようです。
果物やアイスクリームが好まれたのは、あまり甘味を食べなかったという事情もあったかもしれません。
そして酔っ払いは国境を越えるのか、飲み慣れないはずのワイン、シャンペン、ジン、ブランデーの類いも、飲んべえにはあっさりと受け入れられます。
シャンペンは巨大なとっくりが突如ポンと音を立て、蓋が吹っ飛び、しかも泡立つので、度肝を抜かれたようで。
しかし、飲んでみると甘くて美味。すっかり魅了されたようです。
何かと殺伐として、攘夷を叫んでいたように思える幕末。
そんな時代でも、アイスクリームに感動したり。
デーツは干し柿そっくりだと感心したり。
フランスで魚をおろして刺身にしたり。
オランダで醤油を買う足したり。
ロシアで接待にびっくり仰天したり。
ポルトガルでイワシの塩焼きを喜んで食べたり。
そんな日本人がいたと思うと、なんだか微笑ましくなりますね。
洋食とファーストコンタクトした幕末の侍たちの軌跡を想像すると、微笑ましくて口元が緩んでしまいそうです。
こうした歴史もまた面白いものですね。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
熊田忠雄『拙者は食えん!―サムライ洋食事始』(→amazon)