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【本当は怖い渋沢栄一】
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“天譴論”解釈をねじ曲げる
関東大震災のあと、渋沢は“天譴論”(てんけんろん)を主張しました。
一言でまとめるとこのような主張です。
天が驕り高ぶった人間を罰するために災害を起こすのである――。
要は、調子に乗っていた民衆が悪く、罰が下されたということです……。
元々は儒教由来の思想とされていますが、これも本場の解釈とは異ります。
中国ではこうでした。
天が驕り高ぶった為政者を罰するために災害を起こすのである――。
災害が起こったら、まず政治が正しいかどうか考えねばならない。ゆえに災害や天体現象は事細かに記録されます。
例えば始皇帝即位初期には天体現象が多く発生し、そのために政治が乱れるとされたものでした。
中国の皇帝はしばしば罪己詔(ざいきのしょう・己を罪する詔)を出しています。こうも乱れる世は、己の不徳ゆえであると反省していたのです。朝鮮でも、国難において名君はまず己を罰するものでした。
それを大正時代の日本では、君主の責任ではなく「民衆の堕落が悪い」ということにしてしまったのです。
関東大震災から遡ること5年前の大正7年(1918年)。
大阪朝日新聞が掲載した記事が事件となりました。
米騒動に関する記事で「白虹日を貫けり」という故事成語が用いられていたのです。
一体どういうことか?
「白虹日を貫けり」(白虹貫日)とは、日暈(ひがさ・にちうん)、幻日環と呼ばれる天文現象のこと。
中国の天譴論では「天子が不徳である現象」とみなされ、大正時代の日本に適用すると「天皇が悪い」という意味になります。
ゆえに問題視され、右翼団体が朝日新聞は「国賊である!」とまで糾弾し、襲撃事件まで起こしました。
渋沢がそのことを意識しなかったわけがありません。
下手をすれば自身が右翼に問い詰められる。ゆえに日本式の天譴論を大々的に展開し、本来の意味を変えたのです。
だからといって被害者を責め立て、権力サイドを免罪にしてもよいのでしょうか。
現代であれば炎上必至のすり替えでしょう。
商人は時代の流れを読む
渋沢は確かに経済的に成功しました。
しかし、それは時代の流れを読む商才と運が重なったことが要因であり『論語』とは関係ありません。
もう一つ辛辣ながら付け加えさせていただくと、時代を読み取るだけでなく、スンナリ迎合できることでしょう。
【水戸学】を震源地とする尊王攘夷で日本が煮えたぎっていた時代には、志士となる!
そうして倒幕を掲げていたにも関わらず、平岡円四郎に誘われれば保身のために幕臣となる。
【天狗党の乱】となれば友を見捨て、攘夷も口にしなくなる。
そしてフランスに渡航すれば、西洋礼賛となる。
幕府が倒壊しても殉じるわけではない。
天狗党とも繋がりのあった長州閥と親しくなり、政界にも顔のきく財界人となる。
おそらくや人当たりのよさが抜群なのでしょう。
当時からして、どんなスキャンダルがあっても「あの渋沢栄一が?」と驚かれるところがありました。
色々な人と繋がりを持ち、仲をうまく取り持つことができたから、メディア受けも良かったのですね。
ゆえに新政府にも仕え、西洋流も受け入れ、世の流れを察知し『論語』ブームにも乗る。
慈善事業には貢献していたので、むろんその点は素晴らしいことと思います。
渋沢は奇貨を見出した
大商人の呂不韋(りょふい)は、趙の人質となっているみすぼらしい秦の公子、のちの 荘襄王を助けています。
『キングダム』でもおなじみですね。
しかし、呂不韋は優しかったから助けたのではありません。
「これ奇貨なり。居くべし」
お買い得だ。仕入れておけば儲かるだろう!
と、算盤を弾いていたのです。儲からなければ放置していたことでしょう。
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渋沢栄一は、うまく自己プロデュースを成し遂げました。
なんせ金、権力、人脈があります。
自分の主張と、自分にとって名君としなければ勝手が悪い徳川慶喜の顕彰をいくらでもできました。
仁なる者に、敵はなし――。
『青天を衝け』では、そう孟子の言葉が引かれています。
いかにも綺麗な言葉ではありますが、果たして渋沢栄一にふさわしいのか。
むしろ「これ奇貨なり。居くべし」のほうがシックリくる。
徳川慶喜という主君にせよ、『論語』にせよ、渋沢栄一にとっては商売や自己プロデュースにぴったりな奇貨でした。
渋沢栄一から学ぶことは
現代を生きる私たちは、渋沢栄一から何を学べるのでしょうか?
悲しいかな、多くはないと思います。
現在であれば、テロリズムやヘイトスピーチにつながりかねない尊王攘夷を掲げることは犯罪です。
『論語』のブーム便乗にしても、今ならばゴーストライター疑惑として週刊誌にすっぱ抜かれそうな話です。
女性がらみのスキャンダル隠蔽もまず無理でしょう。
チャリティを行うことで名声を高めることにせよ、限界はあります。
2021年、マイクロソフト創業者であるビル・ゲイツはインドでバッシングを受けました。
ゲイツ夫妻が立ち上げた慈善団体ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団が、インドにおいて医療倫理に反する違法行為を働いていた疑惑が浮上したのです。
このビル・ゲイツのようなことを、渋沢もしております。
明治末、高まるハンセン病患者収容の機運に、渋沢、医師・光田健輔らが乗りました。
そして明治40年(1907年)、「癩予防ニ関スル件」として、人権侵害である収容施設が日本と朝鮮に設置されたのです。
こうしたハンセン病患者への差別的な対応は、渋沢栄一のみならず北里柴三郎も関与していた。
渋沢らの主張には、当時の優生思想や、ハンセン病の毒性をペスト並に誇張したあやまった偏見が反映されており、大変な問題があることを忘れてはいけないと思います。
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要するに、渋沢栄一をロールモデルとすることは危険でしかない。
人権意識が低かった時代ならともかく、現代では到底受け入れ難いものです。
そもそも『論語』にせよ、『論語と算盤』にせよ、読んだだけで人格者になれるわけではありません。
儒教は、何千年もの間、思想家や研究者が議論し切磋琢磨し、実践を目指したからこそ意義があります。
★
現代を生きる私たちの中から、第二の渋沢栄一が生まれてくるとは思えません。
しかし、それでよいのでしょう。
渋沢は、労働条件を改善する工場法の成立を十年以上妨害し、女性や未成年の労働条件緩和にも反対していました。
鉱毒事件を起こした足尾銅山の出資者でもあり、朝鮮では植民地支配の象徴としてとらえられています。
私生活に目を向ければ、妾と庶子が多数いました。
彼がなぜ、国を代表するようなお札になり、大河ドラマという国民的番組の主役に抜擢されたのか。
本当は怖い渋沢栄一。
その意味をご理解いただけたでしょうか……。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
渋沢研究会『はじめての渋沢栄一』(→amazon)
パオロ・マッツァリーノ『エラい人にはウソがある』(→amazon)
片山杜秀『尊王攘夷』(→amazon)
小島毅『増補 靖国史観――日本思想を読みなおす』(→amazon)
小島毅『近代日本の陽明学』(→amazon)
若林力『江戸川柳で愉しむ中国の故事』(→amazon)
他