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【西南戦争】
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奪われる土地と家屋、焼かれる町や村
田原坂には当初、住民がおりました。
しかし「戦うためだ」として追い出され、別の村へ。
と思ったら、今度はそこで入ってくるな、と追い払われたりします。
家屋も接収されてしまいます。
元が田畑であった場所では、当然のことなばら農作業ができなくなります
熊本城下はじめ、作戦と称して焦土と化した市街地もありました。
拷問、惨殺、婦女暴行
両軍ともに地域住民を苦しめた内戦。
突発的な残虐行為は薩軍に目立ったようです。
スパイ容疑だと地域住民を引き立て、残虐な見せしめ暴行殺害まで行われました。
官軍と比べて薩軍は、かなり不利な状況。
残虐さによる恐怖支配を行うほかなかったのです。
薩軍の婦女暴行は、はじめのうちこそ抑制がなされていました。
しかし追い詰められてゆくと、そうもいかなくなってゆきます。
敗戦の憂さ晴らしをするかのように、大分県南の女性に暴行を加えた記録が残されています
巻き添え
避難できず、戦場の巻き添えになる住民もおりました。
この西南戦争は、官軍の海軍力が大きな役割を果たしたものでもあります。
艦砲射撃に巻き込まれて命を落とす住民もおりました。
農民一揆
西南戦争の影に隠れているかのようですが、呼応した農民一揆も、戦場となった地域の阿蘇等で発生しています。
農民兵が自主的に薩軍に加わることもありました。
しかし温かく受け入れられたのか?というと、そうではありません。
士族より格下の扱いを受けた挙げ句、戦争後は忘れられたかのような扱いを受けています。
一方で戦争バブルも
「戦争はプラスになる」と考えた――たくましい民がいなかったわけではありません。
焼きとうもろこしを売って一儲け狙うもの。
落ちた弾丸を拾い集め、小銭稼ぎをするもの。
戦場見物をする者。
そうした人々もおりました。
戦場では、薬莢、肥料となる牛骨、時計が落ちており、住民はこうしたものを拾っては商人に売り払ったのです。
彼らのことを、単に『タフだなぁ』と笑うことはできないでしょう。
農業も商売も、停滞していたのですから、日頃の作業に従事することもできません。
需要が高まるものもありました。
軍装に使われるメリヤスや、新聞の大量発行に必要となる西洋紙。
戦地では物価が上昇し、ちょっとしたバブル状態も迎えました。
こうした戦争バブルは、日本近現代史を語る上で見逃せないものです。
1894年~の日清戦争で多額の賠償金を得た日本は、戦争バブルを実感しますが、その十年後の日露戦争では一応の勝利としながらも経済面ではアテが外れ、
日露戦争に勝利してポーツマス条約~なのになぜ日比谷焼打事件は勃発したのか
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市民の暴動や不満へと繋がりました。
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