ラザフォード・オールコック

ラザフォード・オールコック/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末維新の日英関係に欠かせない ラザフォード・オールコックは一体何をした人?

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テンぱってる日本を相手に粘り強く交渉を続ける

こうして無茶振りをされたラザフォードは、まず長崎にやってきました。

後から長崎に赴任する駐在員が来ることになっていたので、日本の空気に慣れながら、待ち合わせしていたのです。

彼は町の景色をいたく気に入ったようで、後々、著書の中で絶賛しています。

後述する日本の遣欧使節のスケジューリングの要として

「使節団がイギリスやフランスが美しく見える季節に到着する」

ことを念頭に置いたのも、自分自身が景色から来る異国の第一印象を好意的に見たからでしょうか。

第一印象が良いと、その後のやりとりも好感を伴って取り組めますもんね。

その後は海路で東海道沖を通り、品川沖にやってきました。そして江戸幕府側と何度か交渉を重ね、高輪の東禅寺に滞在します。

ウォールコックの滞在先・東禅寺/wikipediaより引用

ハリス外務大臣からはこんな風に忠告されておりました。

「日本は今、西洋諸国と一斉に交渉してテンパっているだろう。こちらの話がうまく伝わらなかったり、なかなか進まないかもしれないが、根気強く交渉するように」(意訳)

某国お得意の棍棒外交や砲艦外交ではなく、あくまで粘り強い交渉を進めていたのです。

当時の日本は「清のついでに確保しとけば便利になりそうなところ」ぐらいの認識だったからかもしれません。

これが後に日英同盟や日露戦争に繋がるのですから、さすが大英帝国様の慧眼ですかね。

 


浅草の仲見世で買い物を楽しんだことも

ラザフォードは神奈川(県ではなく地名)や横浜に出かけ、庶民の生活や活気を褒めつつ、幕府が開港地を神奈川から横浜に変えてしまったことには厳重抗議したり、締めるべきところは締めました。

このとき江戸幕府が「横浜は神奈川の一部です!!」とゴリ推したことは有名ですが、ちゃんとした理由があります。

「神奈川だと江戸に近すぎるし、既にデカイ宿場町になってるから攘夷派が紛れやすい」

「何かあったら困る」

「ちょっと離れたところに新しく外国人を受け入れる町を作ろう!」

「 横浜あたりならデカイ船も入りやすくていいんじゃね!? 最初から外国人向けって触れ込みにすれば、開国賛成派が集まって攘夷派は来にくくなるしね!」

そんな感じだったのですが、きちんとラザフォードや他の外国公使に伝わっていなかったようで、要らぬ誤解を招きかけました。

ラザフォードは来日当初から長崎の風景を絶賛していたり、自分たちを見物する日本の庶民が大人しいことに好感を持ったり、基本的に日本には好意的でした。

富士山への旅行中のみならず、箱館へ視察旅行に行ったときも、市場に出かけて物価の安さに驚いたりしています。

駐在先の東禅寺近辺だけでなく、浅草の仲見世を歩いて買い物を楽しんだこともありました。

本国の外務大臣あてに「日本で面白いものを見つけたので、お子さんにどうぞ」とお土産を送ったりもしています。

しかし、ヴィクトリア女王と大英帝国の威厳を損なわないこと、今後の二国間関係に支障をきたさないことがそれ以上に重要であり、ピリピリしている時期もありました。

一部の書簡では、上司に対するものとは思えない言葉遣いにもなっています。

ヴィクトリア女王/wikipediaより引用

 


攘夷派の台東で石を投げられたり刀を抜かれかけたり

1860年代に入って攘夷派の活動が活発になると、いよいよノンビリしていられなくなりました。

道を歩いていて石を投げられたり。

攘夷派と思われる武士に半分刀を抜かれたこともあったり。

また、来日前から付き合いのあったアメリカ駐日公使タウンゼント・ハリスの通訳であるヘンリー・ヒュースケンが攘夷派の襲撃でブッコロされてしまったことで、一気に警戒心が高まりました。そりゃそうだ。

ヒュースケン襲撃の想像図(あくまで想像図です)/wikipediaより引用

特にラザフォードはハリスやヒュースケンと前々から付き合いがあったので、他人事ではなかったでしょう。

「欧米の公使は横浜へ移るべきだ」

そう強調しましたが、ハリスが強固に反対したため、二人の仲はこじれてしまいます。

そこにはイギリス代表とアメリカ代表というビミョーな関係も影響していました。

この時点だと、アメリカが独立してからまだ100年も経っていません。元宗主国vs元植民地という構図ですね。

さらに、清国に15年駐在した経験もあるラザフォードから見て、ハリスは「商人上がりの半人前」なわけです。

タウンゼント・ハリス/wikipediaより引用

また、日本の公的使節団がヨーロッパではなく、先にアメリカへ行ったこともラザフォードにとっては不服でした。

「あんな野蛮な新興国を先に見て、偉大なる西洋文明を理解したつもりになられたらたまらない」

ラザフォード自身が本国への書簡でそう書いているのですから、もうね。

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