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【尾高長七郎】
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襲撃事件で嫌疑をかけられ
大事件とは他でもありません。老中として公武合体政策を進めていた安藤信正が、水戸の志士に襲撃されたのです。
【坂下門外の変】と呼ばれ、長七郎も嫌疑をかけられました。
実行犯ではなかったのですが、首謀者の一人・大橋訥庵(とつあん)が捕縛されたため、付き合いがあった長七郎も計画に関与したと疑われたのですね。
当時、長七郎は地元へ戻っていたのですが、自分が疑われているとは知らずに江戸へと出発。
その直後、長七郎に疑惑の目を向けられていると知った栄一は、江戸行きを食い止めるべく彼を追いかけました。
追いついたのは熊谷宿でした。
栄一はすぐさま長七郎を説得しました。
「兄さんは知らないだろうが、坂下門に関わった連中はその場にいなかったとしても捕らえられている。だから、この田舎ですら安全ではない。嫌疑をかけられている兄さんが、江戸に出るなど自殺するようなものだ。ここはひとつ、京都にでも行って身を潜めてはどうか」
幸い長七郎もすぐに話を理解してくれたようで、栄一のアドバイスに従い、京都を目指すことにします。
義兄の長七郎を遠路はるばる追いかけ、説得に成功した栄一。
非常に人の好い一面を見せる一方で、したたかな計算もありました。
「京都行きを勧めたのは、攘夷派の本拠である京都の情勢を兄から仕入れるのも理由の一つだった」
双方に利益があった話とはいえ、単に人助けで終わらない栄一の次善策には、才覚の一端が見え隠れしますね。
高崎城乗っ取り計画
攘夷への思いを抑えられなくなった栄一は、文久3年(1863年)に惇忠・渋沢喜作(栄一の従兄)らとともに「天下の耳目を驚かすような大騒動」を引き起こそうと、壮大な計画を立案します。
彼らはこんな無茶な計画を立案しました。
高崎城を乗っ取る!
兵備を整えたら、鎌倉街道を通って横浜を襲撃。
一挙に焼き討ちを行い、外国人を見かければ片っ端から切り捨てよう!
血気盛んな志士らしい暴挙。
後に栄一自身が認めているように「ずいぶん乱暴千万な話」であり、「実行していたら死んでいる」のは間違いなかったでしょう。
しかし、当時の彼らは大マジメでした。
計画を練り、秘密裏に装備やメンバーを増強。
いざ実行!という意思を固めた栄一は、父に「これからは天下に出て、時世を知らなければならない」と語りかけ、彼に勘当してもらう(実家に迷惑をかけないようにするため)ことを目指しました。
そして長い問答の末、「高崎城を乗っ取る」という目的は伏せたまま、勘当の約束を取り付けることに成功します。
いよいよ計画が固まると、栄一は京都にいた長七郎に「こういう計画がある。役に立ちそうな人を京都から連れてきてくれ」と協力を願い出ました。
ところが、その数日後のこと。
突如、長七郎が栄一らのもとへ帰還したのです。
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