大河ドラマの主役にもなった西郷隆盛。
彼がいかに優れているか。
大人物であるか。
国民的番組の主役ともなれば、その功績を礼賛する書籍は数多出版されます。
その一方で、史実に基づいて「いや、違うんじゃないか?」「フィクション作品のために誇張されている部分も多いのではないか?」と疑問を呈するスタイルも発売されます。
維新三傑の一人西郷隆盛――そんな大人物に真っ向から当たっていくのが
『大西郷という虚像(→amazon)』
という一冊です。
幕末で一二を争う人気者に対して正面から喧嘩を売るようなタイトル。
と言っても、著者は単なる妄想家とかではなく、
を著した原田氏であり、かつては『花燃ゆ』にも強烈なパンチをくらわせました。
一体どのような西郷論が展開されるのか。
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イキナリ怒り全開 司馬氏にも批判のジャブ
さてこの原田氏、序文の時点で猛烈に怒っております。
かなり新鮮です。
というのも、このスタイルの書籍は序文で誰かの意見をやんわりと否定するような入り方をするのがセオリーであり、いきなりアクセル全開で走り出すようなことはありません。
京都人が「ぶぶ漬けでもどうどす?」と勧めるような感覚ですかね。
ところが原田氏は違う。
序文の時点で、彼の著作を読んで「反日」と決めつけた人がネットに出没したこと、某自治体では自著禁止令が出たことをズバッと批判します。
さらには、かの司馬遼太郎氏に対しても、これまた批判のジャブを浴びせます。
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司馬遼太郎/wikipediaより引用
幕末系の書物では、たしかに「司馬史観」に釘を刺す方はおります。
しかし、その多くは奥歯に物が挟まったような歯切れの悪さであり、本書のように正面から斬り込んでいくのは稀有でしょう。
これは本編へ進んでも歯ごたえがありそうです……。
薩摩の風土紹介から本題へ
本書はまず、筆者原田氏が実際に鹿児島県訪れた経験もふまえつつ、薩摩や肥後の風土の説明から入ります。
「クマソ」の時代までさかのぼり、その土地の人々の背景まで説明。
そしていよいよ、西郷に移るのかと言われれば、そうではありません。
まずは「蘭癖大名」と呼ばれた島津重豪について語られます。
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島津重豪/wikipediaより引用
豪快でありながら、借金が多く、側室も数多く抱えており、68になっても子ができた。
ワイドショー的な語り口という反発はあるかもしれませんが、これも視点を変えたということかもしれません。
薩摩はともかく金遣いの荒い藩主のせいで、借金に困っていたことが大前提として語られます。
このあたりは西郷にとっての主君にあたる島津斉彬にも関連してくることですので、語り口として正しいとは言えます。
次に「お由羅騒動」にも言及し、斉彬派の“デッチ上げ”だと一刀両断に斬り捨てます。
西郷は「二面性」ではなく根本的に問題あり?
西郷を語る上で欠かせないのが、彼の持つ二面性です。
人間としてあたたかみがあるかと思っていたら、冷酷。そんな彼の言動に振り回されてしまう、という現象です。
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西郷隆盛/wikipediaより引用
しかし、筆者はこれも豪快に斬って捨てます。
二面性は誤った西郷像を信じているからだ、と。
それでは筆者は西郷をどう解釈しているのか。
まず、若い頃の彼の評価を本書から引用するとこうなります。
・度量が偏狭(度量が狭い)
・簡単には人に屈しない(頑迷)
・一旦人を憎むとずっと憎み続ける
・好き嫌いが激しい
・執念深い
・好戦的で策略好き
要するに、人間性に問題がある、と……。
そうした人物が何故高く評価されるのかということになると、筆者は「郷中教育」において「二才頭=テゲ」というリーダー格をつとめていたことにあるのではないか、と分析します。
リーダー格としての雰囲気がメッキとしてあるだけで、中身は問題のある男だと。
西南戦争も、「テゲ」として祭り上げられたことが悲劇の遠因と指摘します。
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そもそも二面性も何にもあったものではなく、騙されているだけなのだ、と筆者は斬り捨てるのです。
久光に対する態度は言語道断
筆者の態度は、当然と言えば当然ですが、西郷に極めて厳しいものです。
間部詮勝の殺害計画から、島津久光への態度まで、苦々しくこれまた斬って捨てます。
特に手厳しいのは久光への態度です。
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島津久光/wikipediaより引用
西郷は、久光を手厳しく批判し「地ゴロ」と呼ぶだけでなく、久光の命令を無視して勝手な行動を取ってしまう。
こうした独断専行ともいえる西郷の行動を、筆者は手厳しくチェックし、言語道断だと非難。
その独断専行あってこその西郷の躍進だろうという考え方もありますが、確かにこのあたりはモヤモヤする点であるというのは、私も同意します。
西郷の久光への態度は、辛辣です。
そして筆者の矛先は鋭く、薩摩そのものにも向かいます。
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