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落語の歴史~起源は戦国時代の御伽衆で、元祖は江戸時代の安楽庵策伝

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時代が下ると吉本興業は、落語を軽視するようになります。

“後家殺し”と呼ばれ絶大な人気を誇った初代桂春団治の死後、彼らは漫才に傾倒。それだけでなく上方落語を保護する態度を一切取りませんでした。

「大阪落語を滅ぼしたのは、この私です」
後年、創業者・吉本せいの弟で、吉本興業を率いた林正之助は、そう語っています。

 

速記本、レコード、ラジオの流行

東京では、大正12年(1923年)の関東大震災により、壊滅的な打撃を受けました。
多くの落語家が犠牲になり、寄席も焼失。そのため、当分の間興行が行われなくなってしまいます。

吉本興業ではこの時期、熱心に東京から落語家を招き、復興に貢献しました。

かつての浅草の寄席/wikipediaより引用

震災が江戸の風情を破壊した一方、新たな技術が世の中に変化をもたらします。
速記本、レコード、ラジオです。

「速記本」とは、落語や講談を聞き取って速記したもの。
速記本やレコードは、寄席に足を運ばなくても落語が楽しめるものとして、人気を博しました。

ラジオに関しては、当初の興行側は、いたく警戒心を抱いていました。
タダで落語が聞けるのならば、客はわざわざ寄席まで足を運ばない。そう危惧したのです。

前述と時代が前後しますが、昭和5年(1930年)には、桂春団治が所属先の吉本興業に無断でラジオに出演し、業界内では大きな騒動となるのです。

しかし、結果は出演OKで一件落着。
客を減らすどころか宣伝効果があるとみなされて、和解に至るのでした。

初代・桂春団治/wikipediaより引用

 

戦争の影響で遊郭などのネタが自粛され「はなし塚」が作られる

明治大正を経て昭和へ。
落語の人気はますます高まったものの、強烈なブレーキがかかることになります。

昭和15年(1940年)、大政翼賛会発足の際、「日本芸能文化連盟」が設立されました。
これをキッカケとして、落語も時勢をかんがみて再検討する動きが出てきたのです。
要するに自粛です。

昭和16年(1941年)、浅草本法寺に「はなし塚」が建立されました。
時勢にそぐわない「情痴、遊郭、不義密通」等をテーマとした53演目が禁止となり、それら演目の墓として作られたのです。

こうなってしまってはツマラナクなるのは必定。当局の禁止を待つまでもなく、落語は萎縮してしまいます。

落語家たちも戦争とは無縁ではいられません。
慰問隊や兵士として、戦線に向かうようになり、アメリカ軍の空襲は寄席を焼き尽くし、落語家の晴れ舞台をも奪います。

戦争は人々から笑顔を奪い、笑いをも焼き尽くしました。

 

戦後――ラジオ落語とテレビ大喜利の時代へ

戦後――。
辺り一面が焼け野原になり、食べる物にもこと欠き、親を失った孤児たちがうろついているような状況。
そんな最中でも、人々は焼け残った寄席に、吸い寄せられるように向かいました。

なにせ昭和20年(1945年)8月15日の終戦から一ヶ月後には、焼け残った寄席に人々が溢れかえっていたほどです。

昭和21年(1946年)には「はなし塚」に葬られた演目の復活式も行われました。
遊女も間男も、落語の演目の中に蘇り、戦時中に統合された落語団体も復活しました。

いよいよ本格的な復活です。

一方で、戦後人気のあった三代目・三遊亭歌笑が進駐軍のジープにはねられて亡くなるという痛ましい事故も

昭和26年(1951年)、放送法が成立しました。
ラジオ&テレビ落語の時代幕開けです。

セットもいらない。
バンド演奏も不要。
おまけに人気もある。

落語家たちはラジオ番組からしょっちゅうお呼びがかかり、懐もずいぶんとうるおいました。
ラジオをつければ落語が流れてばかりいる、そんな時代です。

一方でテレビの場合、わいのわいのと騒ぐような演目の方が人気でした。

皆さんご存じの昭和41年(1966年)放映開始された長寿番組『笑点』の大喜利コーナーが有名ですよね。
テレビ世代にとっては大喜利の方がよく知られているかもしれません。

 

落語の黄金期到来&上方落語の復活!

昭和30年代から40年にかけては落語黄金期とも呼ばれます。

愛される名人たちが出る一方、落語は変貌してゆきました。

戦後の大名人として知られる5代目古今亭志ん生wikipediaより引用

落語といえば寄席というのは、今や昔のこと。
ラジオであり、テレビであり、そして演芸ホールになってゆくわけです。

一方で、上方落語は、東京より厳しい状況であがいていました。
前述の通り、吉本興業の隆盛と反比例するように勢いを失ったのが大きいのです。

寄席も戦中に焼け落ち、戦後上方落語を復活させようにも落語家は10人程度という惨状。
戦後もベテランが相次いで亡くなり、上方落語は滅亡の危機に瀕しておりました。

そこで出てきたのが「上方落語四天王」と呼ばれる落語家たちです。
彼らの奮闘で人気も戻り、吉本興業にも落語家が所属するようになります。

当代・笑福亭仁鶴は、吉本興業を代表する売れっ子です。
彼がブレイクしたのは、ラジオパーソナリティとして若者の間で人気を集めたのがキッカケでした。
同じようにラジオやテレビの司会者等、本業とは別のところで活躍する落語家も増えたのです。

2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』で、当代・春風亭昇太が今川義元役を好演したことは記憶にも新しいところですね。

 

伝統的でありながら、常に新しい 変貌する落語

江戸時代から日本人を楽しませてきた落語。
その変貌が著しいことは、皆さんも実感しているのではないかと思います。

落語を楽しむ環境も、変貌を迎えています。
YouTubeの落語チャンネル、スマートフォンのポッドキャストで楽しむ方もいることでしょう。

あるいはテレビドラマの『ちりとてちん』や『タイガー&ドラゴン』。
漫画の『落語天女おゆい』、『昭和元禄落語心中』。

落語をじっくりと聞いたことはなくても、テーマとした作品を楽しんでいたり、落語家の出るテレビ番組を見ていたり。
日本で暮らしている以上、ドコかで必ず触れているものです。

伝統的でありながら、常に新しい。それが落語の魅力ではないでしょうか。

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文:小檜山青

【参考文献】
『図説 落語の歴史 (ふくろうの本)』(→amazon link

【参照サイト】
公益法人落語芸術協会

 



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