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伝統は変わり、キャラクターやコスプレネタにもなる
もしも「国技館」が神聖であり、幕末レベルの攘夷思想を実現していたら?
外国のプロレス団体国技館巡業はありでしょうか。
こうなりかねません。
「夷狄が神聖なる国技館に入るとは、打ち払え!」
明治以降、攘夷がなくなったからこその巡業です。
いくら歴史があろうが伝統は変革を迫られるものなのです。
幕末の外国人は侍にガクブル~銃でも勝てない日本刀がヤバけりゃ切腹も恐ろしや
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・暴力的、残虐、非人道的
→切腹、仇討ち等。いくら歴史があろうが、認められるはずもありません。
・動物虐待
→この観点からすると、むしろ徳川綱吉「生類憐みの令」は画期的で先進的でありました。
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・環境破壊、生態系破壊の恐れがある
→生態系は守らねばなりません。絶滅危惧種の鰻弁当がコンビニやスーパーで廃棄されるとなれば、それは大問題です。
・差別的
→王位継承順位において、男女の優先順位が消えることが主流となりつつあります。
→女人禁制の廃止。伝統的に男女共演がが禁止されていた京劇(中国語圏)ですが、現在では解禁されております。シェイクスピアの演劇も、かつては女優禁止でした。
※名女優・楊春霞の京劇
「伝統は守るべきだ!」と言われたところで、時代によって変わることはむしろ当然なのです。
廃刀令にせよ、お歯黒廃止にせよ、仇討ち禁止にせよ、廃止前後は混乱したはずです。
けれども、ああいうことを復活させたいと思いますか?
廃止してみれば、なくても別にいい、ない方がよかった……そうなるのも、伝統の宿命ではあるのです。
もうひとつ、プロレスがでたところで、コスプレと伝統についても考えてみましょう。
プロレスのギミックは「外国人がイメージする伝統」発露の場です。
ASUKA選手の入場からは、海外が抱く日本のこんなイメージが読みとれるわけです。
・能面!(しかもよくわからない……)
・着物!(なんか変だ……)
・染めた髪!(21世紀初頭、アジア系女性キャラクターは髪の毛を染める、メッシュが多いというステレオタイプが存在します)
かつては日本軍、原爆ギミックを使用した日本人レスラーもおりました。
そういう差別的なギミックは、伝統があろうと現在では用いられておりません。
着物から学ぶ、伝統マウンティングのうっとうしさ
なんだか由来があやしい。
売れるからやっているとわかる。
そんな背景があっても、伝統は楽しいものではあります。
由来はよくわからないけれども、恵方巻はとりあえずおいしい。豆だけではもう物足りない。
雛祭りケーキ? 楽しければいいし。
キリスト教国ではイチゴを乗っけたクリスマスケーキを食べないにせよ、日本人はそれでもいいじゃない!
それはそうなのです。
ただ、それはあくまで伝統でマウンティングをされない限りの話ではありませんか?
冠婚葬祭でのローカルルールだの。
よくわからないしきたりだの。
ドヤ顔でマウンティングされると、鬱陶しいものです。
そんな悪しき伝統マウンティングの象徴といえば、着物ではないでしょうか。
和服の歴史~日本人はいつから着物を好んだ? 平安時代からの小袖が進化して
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オンラインで話題となった「着物警察」という悪しき存在もあります。
着物を着ていると、突如として着こなしをダメ出しされる、恐怖の存在です。
すれ違っただけでいきなり着付けを直された、という恐怖の体験談も。
どうすれば着物警察を打倒できるのか?
歴史サイトならではの観点から考えてみました。
「幕末の着付けを見てみましょう!」
例として、福澤諭吉の青年期です。
幕臣が外国に行って撮影したわけですから、この写真はフォーマルであるはず。それにも関わらず、だらっとしておりませんか?
幕臣、男性、フォーマルな彼ですらこうなのです。
幕末の町人を撮影した写真集でもご覧になってみていただければ、わかるはずです。
リラックスしている町人女性の写真は、胸元すら見えそうなほどはだけているものもあります。
だらしない?
これが普通です。
高温多湿の日本で、キチキチとした着付けでおりますと、暑さで参ってしまいます。きつい着付けでは、自由に動けません。
ファッションとしても、自由度が高いものでした。
幕末から明治にかけて、日本人は和洋折衷のファッションを取り込んでゆきます。
和洋のファッションを自由に混ぜていたせいで「鵺(ぬえ、様々な動物を組み合わせた異形の妖怪)」と陰口を叩かれた新島八重が典型例です。
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八重のようなファッションをしていたら、今は着物警察に何を言われることやら。
上記のような流れをがんばって説明しましょう。相手が聞いてくれるかどうか、ちょっとわかりませんが。
にしても現在の着物は、どうしてキツい着付け必須で、アレンジの自由度が下がったのか?
むしろ伝統の破壊では?
決まり切った着物ルールを守らねば、警察が出てくる。
憂鬱で、ちょっとチャレンジする気にもなれないのではありませんか?
現在のようにきつい着付けになった理由――ここに、ビジネスの姿が見えてきます。
昭和40年代、和装が衰退してゆく中、着物業界は利益のために禁断の手段を選んでゆきます。その結果は?
・高級感を打ち出し、客単価をあげる
→安い着物が罵倒される流れへ……。高級感があるため、手が出されなくなってゆく。
・ブランドに頼る一方で、海外拠点に発注してコストカットする
→国内の技術と産業が衰退を招く。
・着付け士に特権を与える。着付け教室ビジネスを展開する
→着物警察の温床になる。
以前、国際交流フェスティバルの民族衣装コーナーでため息をついてしまったことがあります。
どの国の衣装も、割とあっさり着られる。日常感もある。
そこで着物だけが浮いている気がする。
着物に興味を持っても、揃えるだけで大変だ。教室に通う時間もない。
伝統を商業利用した結果、滅びの道をたどった悪しき例になりかねないと感じてしまうのです。
むろん伝統には変革が必要です。
しかし、着物業界のようなことをすれば危険です。教訓としましょう。
伝統を守るために
桜の香りがないというところから入った伝統の話ですが、終わる前に桜に戻ります。
日本の国花は、桜と菊とされています。
桜の香りがこうも好まれる理由には、日本の象徴という意味合いもあるのでしょう。
ただ、桜は国の象徴であるがゆえに、政治や意図と結び付けられやすい歴史がありました。
新渡戸稲造は、武士道と桜を結びつけました。
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軍歌には『同期の桜』があります。
※『同期の桜』
原爆に被災した劇団は「桜隊」でした。
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そして、特攻兵器「桜花」も存在します。
◆特攻兵器「桜花」は、日本軍の「忖度」が生んだ哀しい失敗作だった
こうした歴史を無視して「いやあ、桜はただの花ですよ」と主張したところで、その言い訳は苦しいのです。
ああ、この人は意図や紋章学が理解できていないんだな……と突っ込まれかねないのですから。
伝統をねじ曲げない、マイナスイメージをつけないためにできること。考えることは、誰にもあるはずなのです。
・間口を狭めない
→伝統のために資格や高額を要求すると危険です!
・知識でマウンティングして、新参者を追い払わない
→着物警察のこと。
・露骨な拝金主義は危険です
→メルカリでの御朱印転売のような事態は避けましょう。
・明確な理由や根拠なしに、ルールを作らない
→「暗黙の了解!」が多すぎると、層が減ります。
・優越感や精神論に結びつけない
→日本は瑞穂の国である。そう思うことそのものは危険ではありません。
ただし「日本人はコメを食べるから強いんだ!」という結論にまでたどり着くと有害です。戦前にはそんな流れがありました。
これが戦後になると「コメなんか食べるから日本は戦争に負けた! 小麦粉で作ったパンや麺類を食べよう!」と大逆転をして、輸入政策に利用されているのです。
そんな無根拠な掌返しは二度と繰り返さなくてもよいでしょう。
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伝統を楽しむだけではなく、こうしたことを考えてゆきたい。
ふりかざし、露骨な商業主義に陥ること。
奇妙な精神論に酔いしれること。
気持ちはよいかもしれませんが、かえって危険かつナンセンスです。
柔軟性を持ってこそ、活路は見出せます。
コーエーテクモゲームのCGを受け入れた大河ドラマ『真田丸』。
日本の伝統である刀剣を擬人化した『刀剣乱舞』。
『スター・ウォーズ』とコラボした五月人形。
『風の谷のナウシカ』を取り入れた歌舞伎。
ふざけているようで、新しい。【変革も伝統の一部】だと割り切って、新規層を開拓することが伝統のためになるはずです。
守るだけでなく、変え、受け入れてゆきたいもの――それが伝統の本質だと思うのです。
文:小檜山青
【参考文献】
『日本の伝統という幻想(柏書房)』(→amazon)
『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?(清水書院)』(→amazon)
『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る(講談社)』(→amazon)
『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」(講談社)』(→amazon)
『日本スゴイのディストピア(青弓社)』(→amazon)
『ねじ曲げられた桜: 美意識と軍国主義(岩波書店)』(→amazon)
他