竹中重義・踏み絵

イエス・キリストの踏み絵/photo by Chris 73 wikipediaより引用

江戸時代

日本初の「踏絵」を実行した竹中重義はあの半兵衛の甥|最期は別件で切腹へ

2025/02/21

寛永十一年(1634年)2月22日は、豊後国の府内藩主竹中重義が切腹した日です。

これが江戸の初期を象徴するような事件でして、ムゴいというか自業自得というか……さっそく振り返ってみましょう。

 

あの「踏絵」を一番最初に断行した!?

戦国~江戸初期の時代で「竹中」と来れば、真っ先に連想されるのは竹中半兵衛(重治)ですよね。

竹中重義は直接の子ではありませんが、以下の通り、なかなか濃い目の血縁です。

・重義の父である竹中重利が半兵衛の従兄弟

・重義の母が半兵衛の妹

要は、半兵衛から見て従兄弟と妹の子で、一言でいえば「甥」ですね。

竹中半兵衛/wikipediaより引用

となると何となく頭が良さそうなイメージがわいてきますけれども、重義の場合そう言っていいのかどうかビミョーなところがあります。

土井利勝の推薦で長崎奉行に任じられたまではよかったのです。

その後、ドギツイ政策をとってしまった。

いや、どぎつ過ぎた。

重義は、あの「踏絵」を初めて行ったという説もあります。

踏まされたのではなく、信者疑惑のある者に踏ませた――つまりキリシタン弾圧に異常なまでに熱心でした。

もちろん幕府としてもキリスト教を禁じる方針でしたし、信者を大勢火炙りにしたりはしていましたが、それにしても重義の行った政策は苛烈。

「穴吊り」という、ここで詳細を述べるのが憚れるような拷問を用いたりしています。

江戸時代の拷問・処刑って、キリシタン弾圧に関わらず【CERO-Z(18才未満お断り)】なものが多いですけど……。

 


密貿易がバレて切腹! 親族は隠岐に流される

“取締”に熱心なんて申し上げますと、さぞかし竹中重義は真面目でお堅い人物に思えるかもしれません。

しかしさにあらず。徳川家光の時代になって、弾圧の陰で密貿易をしていたのがバレるのです。

これが切腹になった直接の理由でした。

しかも息子を巻き添えにした上、命を助けられた親族も隠岐に流されてしまったというのですから、迷惑もいいところです。

重義は、改易に処された松平忠直に対して情を持って預かるなど、優しさを持った一面もあるんですけどね……。

ちなみに、重義の切腹から三年後に【島原の乱】が起きています。

島原の乱はキリシタンだけが反乱したわけではありませんが、おそらく乱に参加した人の中に、親族や知人が重義によって拷問にかけられたり、処刑された人もいたのでしょうね。

「島原御陣図」/wikipediaより引用

ともかくこの乱が失敗に終わったことで、キリシタンたちが表立って信仰を口にすることはなくなりました。

しかし彼らは、どうにかこうにか幕府の目をかいくぐってキリスト教を語り伝えていきます。

【隠れキリシタン】と呼ばれる人々ですね。

 

江戸中期から幕末にかけて長崎で大々的な弾圧事件が

彼らは観音像を聖母マリアに見立てて拝んだり、キリスト教に関するもの、例えば十字架などをまとめて隠しておいたり、さまざまな方法で信仰を保ちました。

江戸時代が終わっても、明治時代の初期までは「キリスト教はダメ!!」ということになっていたので、ありとあらゆる方法が試みられています。

特に長崎近辺では、江戸時代中期~幕末にかけて「浦上◯番崩れ(◯には数字が入る)」と呼ばれる大規模な弾圧事件が四回起こっており、信仰の規模が大きかったことが伺えます。

最後の「四番崩れ」が起きたのは、なんと幕末も幕末、慶応五年(1867年)のことです。

この頃になるとヨーロッパ各国の領事や公使たちが国内にいたので、「宗教弾圧は人道に外れる行いだ!」と大きく非難されました。

フランス公使レオン・ロッシュが徳川慶喜に直接抗議をしていますが、実はこれ、大政奉還の約1ヶ月半前の事だったりします。

レオン・ロッシュと徳川慶喜(右・ナポレオンから贈られた軍服姿で)/wikipediaより引用

弾圧は確かにマズイですし、ほぼ100%クリスチャンの国々が抗議するのも当たり前の話。

徳川慶喜からすれば「今そんなの構ってられないんだけど……」という感じだったでしょうね。

ではキリスト教は、いつ解禁となったのか?

 

右近の領地だったため信仰が続いた

キリスト教が認められるようになったのは明治六年(1873年)から。

以降、信仰を隠す必要はなくなったのですが、現在もヨーロッパのやり方ではなく、先祖代々のやり方で信仰を保っている家は少なくありません。

たまにテレビでも取り上げられるので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

隠れキリシタンの里だったと思われる集落は長崎以外にも多数存在しますが、もともと迫害されていたものですから、当時の信仰を表すものは破損しているケースが多々見られます。

長野県塩尻市の大宝寺にある「マリア地蔵」などは、首を落とされてしまっていてかなり恐ろしい感じが漂います。

マリア地蔵

大宝寺のマリア地蔵

その中で珍しく、状態の良い物が残っているのが茨木市立キリシタン遺物史料館です。

このあたりはかつて高山右近の領地だったため、彼が流刑になってしまった後も信仰を保ち続けた家が多かったのだとか。

マニラでの高山右近/Wikipediaより引用

京や大阪から距離は近いながら、山中だったことも幸いしたようです。近くに天満宮もあるので、カムフラージュになったのかもしれませんね。

 


ザビエル肖像画を拝見するなら事前にお申し込み

誰もが一度は見たことのあるザビエルの肖像画は、この資料館近辺の家で見つかったそうですよ。

フランシスコ・ザビエルの肖像画

フランシスコ・ザビエル/wikimedia commons

今は神戸市立博物館所蔵になっていて、本当にどこから何が出てくるかわからないものですね。

外観は日本家屋と西洋建築が部分的に混ざり合った感じになっていて、こぢんまりした建物のためか、5名以上で見学する場合には10日前までに団体見学申込書を出す必要があります。

グループ旅行や修学旅行で訪れる際には、注意が必要ですね。

隠れキリシタンの血を引く周辺の人々が持ち回りで受付等をされているので、かなり詳しいお話を聞くこともできるのだとか。

時間に余裕を持って、いろいろ聞けるようにしておくといいかもしれませんね。


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【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路』(→amazon
茨木市(→link
竹中重義/wikipedia
隠れキリシタン/wikipedia
浦上四番崩れ/wikipedia
茨木市立キリシタン遺物史料館/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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