天保二年(1831年)8月7日、『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九が亡くなりました。
大昔、ファミコンのゲーム『御存知弥次喜多珍道中』にもなっていた程ですし、割と知られているタイトルと作者ですよね。
浮世絵の『東海道五十三次』とは直接関係ないのでテストのときは注意が必要です。
そんな誰もが知っているこのタイトル、実はその内容、ここではおおっぴらに書けないシロモノだったりします。
教科書や真面目な紹介サイトでは「弥次と喜多の主従が東海道を辿る旅の物語です」と書いてありますが、ところがどっこいこの二人、実はBLな関係なのです。
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今も昔も変わらないんですねぇ
戦国時代は「武士の嗜み」だったBL。
江戸時代には庶民にも広まっていたといわれているので、世相を反映した……んでしょうかね。
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弥次さん喜多さんは二人ともいわゆる”両刀使い”だそうで、物語中には女性がらみの話も出てきます。
というかシモの話題はほぼ網羅しています。
そっち系の話が好きなのは、皆さん、今も昔も変わらないんですねえ。
あんまり詳細を書くとワタクシが干されてしまいそうなのでこの辺にして、他の要素も見ていきましょう。
識字率UPで世界一のエンタメ王国
文学史というと平安時代の次に暗記対象が多くなるのが江戸時代。
戦国時代までの文学がほぼ上流階級のものだったのに対し、江戸時代からは庶民が本を読めるようになったからです。
主な理由は二つあります。
一つは、寺子屋の存在によって識字率が格段に上がったこと。
さすがに難しい漢字についてはごく一部の人に限られていたようですが、【カタカナ・ひらがな】であれば、ほとんどの人が読み書きできるようになりました。
庶民が書いたとされる手紙でも、漢字は少ないながらに危なげない筆跡ですから、読むほうとなれば言わずもがなでしょう。
木版印刷の普及で大量生産が可能に
もう一つは、印刷技術の登場です。
日本や中国など漢字を使っている国では文字の種類が膨大となるため、一文字ずつ版を作る活版印刷はなかなか定着しませんでした。
しかし、日本では江戸時代に「一枚の板に一ページ分の版を作る」という方式を木版印刷でやるようになったので、本の大量生産が可能になったのです。
また、日本全国を結ぶ水運によって物流システムが確立したことも大きな要因だったでしょう。
この二つが組み合わさって、多くの日本人が読書を好むようになりました。
幕末~明治に来日した外国人の記録にも「日本人は庶民でも読み書きができるし、よく本を読む」というようなことが出てきます。
恐らく彼らのほとんどは”日本語は漢字・カタカナ・ひらがなの三種の文字がある”ことを知らなかったでしょうから、実際にはカタカナ・ひらがなしか読めない人が多くても「ジャパニーズスゴイネー!!」と思った可能性もありますが。
最近は活字・読書離れと言われます。
実際には、本を読む人が減ったというより「紙の本以外でテキストを読む機会が増えた」のでしょうね。
インターネットやメールはもちろん、コロナ禍の影響で電子書籍も一気に広まったと言います。
しかし紙の本の「めくる感じがイイ」「ページを飛ばしたり戻ったりしやすい」「ふせんや書き込みができる」といったメリットを愛している方も多いですから、完全になくなるのはまだまだ先……というか、人類が続く限り、紙の本も続くんじゃないか、と思ったりもします。
スマホどころか、脳へ直接、文字データが送り込まれるような時代がきたら、さすがに紙も無くなるかな?
いや、でも、そんなときこそ敢えて不自由を楽しむ贅沢があったりするんですよね。
最後は妄想ばかりで失礼いたしました。
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長月 七紀・記
【参考】
伊馬春部『現代語訳 東海道中膝栗毛(上) (岩波現代文庫)』(→amazon)
『国史大辞典』
木版印刷/wikipedia