こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【御三家と御三卿】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
必ず権現様へつながる
元々が「宗家にも御三家にも良い人材がいないときに養子を出す」ための家ですから、御三卿はあっちこっちへぼんぼこ養子を出しまくります。
時には「明屋敷になっちゃうけど、宗家と御三家のほうが大事だからいいよね!」なんてこともありました。
家がなくなるわけではないので気楽なものです。
そういうときは御三卿の別の家からさらに養子をもらっていました。
一橋慶喜(十五代将軍・徳川慶喜)のように、格上にあたる御三家から来た人もいます。
-
徳川慶喜を知れば幕末の動乱がわかる!家康の再来とされた英邁77年の生涯
続きを見る
逆に、田安家から御三家の紀州へ養子に出た人の子供が、宗家に戻ってきたという例もありました。
十四代の徳川家茂です。
-
江戸幕府14代将軍・徳川家茂~勝海舟にも認められた文武の才とは
続きを見る
どこも元を辿れば吉宗、さらに遡れば家康に行き着くので「大丈夫だ、問題ない」ということだったのでしょう。
御三卿の功績が一番かも
特に将軍の実子がいなくなってしまった十代家治の頃からは後継者候補として御三家に並び、御三卿の名前も多く出てくることになります。
十一代将軍・徳川家斉は一橋家の出身。
-
子供を55人も作った11代将軍・徳川家斉 一体どんな治世だったんだ?
続きを見る
十二〜十三代までは血が続いたものの、先述のように十四代(のお父さん)と十五代も御三卿から来ています。
こうなるともう御三家の意味が怪しくなってきますね。
が、後継者に困っていたのは宗家だけでなく御三家も同じだったので、御三卿の存在は実にありがたいものになっていくのでした。
吉宗というとまず米や倹約が連想されますが、こうしてみると御三卿の設置が一番の功績かもしれませんね。
あわせて読みたい関連記事
-
大老・老中・若年寄の違いご存知ですか?細分化された江戸幕府の役職
続きを見る
-
鎖国の目的は制限外交?長崎オランダ以外にも複数の外交ルートあり
続きを見る
-
参勤交代と大名行列の素朴なギモン~期間は?妻子は?経済的負担は?
続きを見る
-
徳川慶喜を知れば幕末の動乱がわかる!家康の再来とされた英邁77年の生涯
続きを見る
-
江戸幕府14代将軍・徳川家茂~勝海舟にも認められた文武の才とは
続きを見る
-
子供を55人も作った11代将軍・徳川家斉 一体どんな治世だったんだ?
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴史読本2014年12月号電子特別版「徳川15代 歴代将軍と幕閣」』(→amazon)
歴史読本編集部『歴史読本2013年1月号電子特別版「徳川15代将軍職継承の謎」』(→amazon)
徳川御三家/wikipedia
御三卿/wikipedia