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【生駒騒動と生駒高俊】
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当然、高俊は激おこになりましたが、そりゃアンタ……常日頃から遊びほうけてれば誰も頼りにせんだろうよ……。
高俊にとっても帯刀たちは大事な家臣ですから、「切腹させてたまるか!」と急いで藤堂家の藩邸に向かい、高次へ直談判しました。
普段からそのくらい真面目に仕事してれば、そもそもこんなことにならなかったでしょうにね。
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なぜもっと早く引き上げさせなかった!?
我慢強い高次は、親戚のバカ殿・高俊を根気強く説明します。
が、あまりにもゴネるので今度は高次のほうがキレてしまいます。
「もう知らんわ! うちは手を引くから勝手にしろ!!」
そう言って生駒家に出ていた藤堂家の人間を全て引き上げさせてしまったのです。
それをもうちょっと早くやってれば、そもそもこんな大騒動にならなくて済んだんじゃ……とか言ったらいけませんね。
親戚とはいえ別の家がここまで面倒を見なくてはいけないほど、高俊がアレだったということなのですから。
こうして帯刀は命を拾ったのですが、江戸で切腹の日取りを待っていた前野と石崎は唖然とします。そりゃそうだ。(二回目)
「覚悟の決め損かよ! こうなったら幕府に直接訴えてやる!!」
かくしてブチキレ、幕府に訴状を出すと同時に、高松にいる家族や同志たちに「かくかくしかじかだから、今すぐそこを出るように!!」という手紙を書きました。
高松ではこのとき、武士とその家族・家臣の一団2,300人が武装して引っ越すという前代未聞の大騒ぎになっています。
ちなみに、これはだいたい加賀藩の大名行列に匹敵する人数です。
高松藩の場合はどのくらいの人数だったのかはっきり調べられませんでしたスイマセン。
でも、だいたい似たような石高の秋田藩が1,300~1,400人くらいだったそうなので、これとほぼ同等だと思われます。
つまり、いつもお殿様が国許から江戸へ行くときの1.8倍近い人数が、お殿様もいないのにいきなりフル装備で動き出したわけで……。
そりゃ驚きますよね。女性も子供もいたでしょうし。
やっぱり改易、そして流罪!
江戸でもここまでの規模ではないながらに立ち退き騒動が起き、とうとう幕府……というか家光にバレました。
自分で「家中の統治もできないヤツは改易!」という態度を取っておきながら、膝元の江戸で起きたことに気付けないなんてわけがありませんものね。
この間に一方の当事者である前野は病死してしまいましたが、帯刀と石崎をはじめとした両派の主だった人物が江戸城に呼びつけられます。
そして三回も審議が行われました。
結果は……。
「帯刀派は忠義者だから、クビにはするけど命は助けてやろう。それぞれ他の大名家で神妙に暮らすように」
「前野・石崎派はけしからん! 後見を任された先で暴挙を働くとは何事か!! 切腹!!!」
江戸時代というか武家のならいで、前野・石崎派に属した人物の息子たちも切腹や死罪になりました。可哀相に……。
ついでに藩主・高俊については「家中監督不行き届きである! 改易!!」ということで、案の定、流罪になりました。
ただし、途中まで事の経緯を知らなかったからか、当面の生活費として出羽矢島で1万石を与えられています。
「堪忍料(かんにんりょう)」という制度で、武士の遺族や改易された大名に与えられる年金のようなものでした。
他にも福島正則や、加藤忠広(加藤清正の息子)が改易されたときに付与されています。
「路頭に迷わせるほどの罪ではないが、そのままにしておいては他家への示しがつかない」といった場合に「武士の情け」として適用されるものだったようですね。
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その後の高俊はさすがに反省したらしく、出羽で大人しく暮らしていたようです。
生駒家自体は息子の高清の代になって許され、旗本として残っております。
幕末には明治新政府側につき、大名に返り咲いたり知藩事になったりしました。
たびたび養子を迎えているので、直系の血が続いているわけではないようですが、これだけの大騒ぎになって家がしっかり残ったというのはスゴイですよね。
ムリヤリまとめると、「小さいときの教育は大事である」ということと、「引き際を間違えるな」ってところでしょうか。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路 (別冊歴史読本 15)』(→amazon)
福田千鶴『御家騒動 大名家を揺るがした権力闘争 (中公新書)』(→amazon)
生駒高俊/Wikipedia
生駒騒動/Wikipedia