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【徳川家治】
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部下に百両をドンッと!
ある大雨の日、家治は自分の近習(お世話役)がため息をついているのを見かけました。
「あいつ元気がないみたいだけど、何かあったのか?」と別の近習に尋ねてみたところ、「あいつの家は貧しいので、この雨で実家が雨漏りでもして両親が寒い思いをしているんじゃないかとか心配なんですよ」とのこと。
そこで家治、続けて「どのくらい金があれば、あいつの家を直せる?」と聞きました。
すると「百両くらいあれば良いと思います」という返事。
おそらく生まれついてのおぼっちゃま・家治には、雨漏りがどういう状態なのか想像つかなかったんでしょうね。
これを聞いて家治はすぐにため息をついていたほうの近習を呼び出し「これを遠慮なく使え。両親によろしくな」と気前よく百両をやった……という話です。
百両と言われてもピンときませんが、日銀の研究所が出した換算では一両=4~13万円くらいとのことなので、だいたい400~1,300万くらいをポーンとあげちゃったことになります。
幅が広すぎといえばその通りですが、どっちにしろ修理費用ってレベルじゃねーぞ!
「普段はケチるけど使うべきときは一気に使う」タイプだったってことですかね。
現代の一般人でいえばボーナス一括払い派という感じ?ちょっと違うか。
親戚づきあいもバッチリで非の打ち所ナシ?
その影響があるのかないのか。
家治は将軍職の人にしては珍しく、親族と争ったことがないようです。
目立った逸話こそないものの、父・家重や弟・重好、そして正室だった倫子(ともこ)女王とも親密だったらしきことが記録されています。
特に夫婦仲は徳川将軍の中でも際立って良かったらしく、二人の女の子に恵まれています。
残念ながら二人とも成人前に亡くなっていますが、もし無事に成長していたら、どこかお嫁に行った先で将軍候補となる男の子を産んでいたのかもしれません。
実際には倫子女王も家治より先に亡くなっていますし、お世継ぎができないというので側室を迎えているのですが、立場上致し方ありません。
それに、男の子が生まれてからは側室の下に全く通わなかったといいますから、本当に「立場上の関係」としか思っていなかったのでしょう。
側室の件はともかく、総合して考えると、家治は「金銭感覚がしっかりしていて、思い切った決断もでき、家族とも仲が良かった将軍」ということになりますかね。
やっぱり地味ですが、また何か人柄がわかるような史料が見つかればもっと知られるようになる……かも。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴史読本2014年12月号電子特別版「徳川15代 歴代将軍と幕閣」』(→amazon)
歴史読本編集部『歴史読本2013年1月号電子特別版「徳川15代将軍職継承の謎」』(→amazon)
徳川家治/Wikipedia
野村ホールディングス(→link)