徳川家治/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

『べらぼう』眞島秀和が演じる徳川家治~史実ではどんな将軍だったのか?

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風雅で心優しい公方様

米から銭へ――田沼意次が推し進めた重商政策は、時代の流れからすれば必然といえるものです。

徳川家治の政治動向は、当人の実績ではなく、田沼意次を追うことで初めて辿ることができる。

将軍がリーダーシップを握っていた吉宗までの時代と、家重以降は政治の構造が異なっていました。

成人して将軍となりながら、現在まで徳川家治の存在感が薄いのは、こうした近世の君主制らしい特徴が背景にあるゆえでしょう。

側近に政治を任せることにより、近世君主は芸術に耽溺する傾向が強まります。

『べらぼう』でも江戸城内で将棋のシーンが特徴的に使われていましたが、史実でも家治は得意とし、趣味が一致する意次はこれにより接近を図ったともされております。

鷹狩りを好んだことは祖父譲りですね。

そして書画を得意としたことは家治らしい一面といえました。

西村屋与八が売り出した【美人画】を得意とする旗本出身の絵師・鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)は、家治と絵の談義をしばしば繰り広げたということが宣伝文句とされました。

「栄之」という号も、家治がつけたともされます。

鳥文斎栄之『青楼美人六花仙 』「扇屋花扇画」/wikipediaより引用

家治は儒教倫理を重視し、優しさである「仁」を重んじるとされ、こんな逸話が残されています。

外出時に雨に濡れる軽輩の者を見て「彼らはなぜ雨具がないのか?」とそばにいた者に家治が尋ねました。

軽輩の者には用意されていないことが慣習だと返されると、家治は祖父の逸話を持ち出します。

「高貴のものは濡れたら着替えればよい。むしろ身分の低いものこそ替えがないのだから、雨具に代わるものをとらせよ」

祖父の逸話を語ることで、目下のものを気遣うべきだと示したのですね。

家治はこのように、生真面目で思いやりのある人物でした。

江戸っ子も、政治的混乱は田沼意次のせいだと見抜いていたのか。

家治の名は、必ずしもマイナス要素とはされません。十一代将軍・徳川家斉あたりまでは、江戸っ子にとって「公方様」とは畏れ多い権威でした。

浮世絵師たちが、たとえ相手が公方様でも茶化し、批判するようになるのは、十二代・徳川家慶のころから顕著になります。

徳川家慶/Wikipediaより引用

 


天明年間の混乱、家治の死とともに田沼の改革も終わる

安永8年(1779年)、徳川家治にとって痛恨の不幸が起きます。

唯一の男子であり、世子であった徳川家基がわずか18歳という若さで急死したのです。

徳川家基/wikipediaより引用

これを受け、意次は世継ぎの擁立に奔走します。

一橋家の家老は意次の甥である田沼意致が務めており、田沼と一橋は縁が深い。

そこで天明元年(1781年)、一橋家当主・徳川治済の長男・豊千代を家治の養子としたのです。

意次に全幅の信頼を寄せ、様々な改革を任せていた家治ですが、改革を急ぐ田沼政治はしばしば反発を招きました。

さらに不幸なことに、天明年間ともなると世界規模で天変地異が起こります。

このときの異常気象はフランス革命を引き起こしたほどの大規模なものであり、日本国内でも天明の大飢饉が起き、怨嗟の声が世に満ちてゆきました。

飢える庶民たちの様子(天明の大飢饉)/wikipediaより引用

それでも家治の信頼があればこそ、意次の体制は盤石でいられる。

意次は次期将軍擁立への道筋もつけ、嫡男・田沼意知も順調に出世させており、家治のあとまで見据えて動いていました。

しかし、です。

天明4年(1784年)にその意知が江戸城中にて佐野政言に斬られ、それがもとで命を落としてしまうのです。

意知の死は江戸で大歓迎され、手にかけた佐野政言が「世直し大明神」と持て囃され、墓参者が絶えないほどでした。

意次は嫡男の死と、それを喜ぶ世相に耐え、なおも政治に邁進を続けます。

しかしそれも天明6年(1786年)、家治の死までのことでした。

享年50。

知保の方は「意次が家基を殺したのではないか?」という疑心暗鬼にかられていました。

さらに病床に就く家治の主治医を意次が推薦した医者に替えた結果、容態が悪化してしまい、お知保は「意次が家治を手にかけたのではないか?」と怒り狂う。

かくして家治の死とともに田沼政治は終わり、十一代将軍・徳川家斉と、松平定信の時代へと世は移ってゆくのでした。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
藤田覚『田沼意次』(→amazon
「歴史読本」編集部『よくわかる徳川将軍家』(→amazon
『徳川家歴史大事典』(→amazon

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