大岡越前守忠相

大岡越前守忠相(左)と徳川吉宗/wikipediaより引用

江戸時代

大岡越前守忠相の大岡裁きは一件だけ?吉宗に抜擢された名奉行の実績

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
大岡越前守忠相
をクリックお願いします。

 


大岡裁きは「白子屋お熊事件」だけ!?

忠相といえば、やはり「大岡裁き」ですよね。

ドラマでは色々な件に関わっていますが、実際に忠相が直接裁いたのは一件だけだと言われています。

「白子屋お熊事件」です。

白子屋という問屋の中で起きたドロドロ愛憎劇。

好きでもない人と結婚させられた女性お熊が、浮気相手に本気になってしまい、「旦那を殺せばハッピーになれるわ!」と思い込んで実行に移したというまるで昼メロのような話です。

しかも、姑さんが奥さんの味方だったというのがまたコワイ。

ここで嫁姑の争いになっておけば、この後の結果がまた変わっていたかもしれないと思うと……ブルブル。

この事件は多くの人を巻き込みます。

いいところの奥さんですから、自分でやらずに人に殺させようとしたんですね。

最初は出入りの医者に頼んで毒殺する予定だったのが失敗し、次に女中を使って刺殺させようとしたらまた失敗……二度も失敗したので、とうとう世間にバレてしまいました。

結局、主犯の奥さんは市中引き回しの上、獄門磔という最も厳しい罰(もちろん死刑)が与えられます。

その他、事件に関わった人も処罰を受け、誰も得をしない結果になってしまいました。

 


奉行たちの深イイ話を集約させたのかもしれない

他の事件については、そもそも忠相がいた時代と年代や場所が合わないものが多いのだとか。

子供の手を同時に引っ張って、離したほうが本物の母親だとした「実母継母の子争い」など、中国の話が伝えられたとされているものもあります。

なぜそれらが忠相の功績とされるようになったのか?

詳細は不明ですが、おそらく名もなき奉行の「良い仕事」を一人に集約させたのではないでしょうか。

歴史辞典の『国史大辞典』でも、

【彼の名を昔から有名にしている「大岡政談」は、政治家とはかくあれかしという庶民の願望が託された虚像であって、その話も忠相とほとんど関係ないが、彼が当時の法をできるだけ現実の姿に近づけようと努力したことは事実である】

と記しています。

大岡裁きには否定的でも、その人物は高く評価していたんですね。

つまり忠相は、日本の全国各所にいたのかもしれません。


あわせて読みたい関連記事

足高の制
給料UPだよ足高の制!革新的だった吉宗の人材登用術は前例主義を打破できた?

続きを見る

浅野内匠頭(浅野長矩)
なぜ浅野内匠頭(浅野長矩)は吉良上野介に斬りかかった?やはり金銭問題なのか

続きを見る

稲葉紀通
寒ブリの恨みから火縄銃乱射! 稲葉紀通のご乱心&自決で御家は破綻の悲劇

続きを見る

コメントはFacebookへ

佐倉惣五郎
佐倉惣五郎の将軍直訴伝説はどこまで本当か~訴えられた堀田正信の奇行が怪しすぎる

続きを見る

田沼意次
田沼意次はワイロ政治家というより優秀な経済人? 評価の見直し進む

続きを見る

宝井其角
雨乞い儀式の横を通った宝井其角 僧侶と間違われ一句→マジで雨

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
大岡忠相/wikipedia

TOPページへ


 



-江戸時代

×