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【火消し】
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建物ぶっ壊すのが仕事!とにかく目立たねば危険だぜ
火消しといえば「纏」(まとい)も欠かせません。
鯉のぼりの横で一緒に泳いでいる吹流しを裂いて、縦にしたような形のアレです。
今のようにポンプ車などはありませんから、当時の火事は「火を消す」というよりも「燃えている建物を壊して延焼を防ぐ」のが主でした。
となると火に加え、破壊したあれこれに一般人が巻き込まれるのを防がなくてはいけませんよね。
しかし「今からこの辺あぶねーぞ!」と言ったところで、火事場の喧騒の中聞こえるはずがありません。
そこで危険をわかりやすく知らせるために作られたのが纏です。
これを現場のすぐ近くの屋根の上で振り回し、危険を知らせました。
目立つところで振り回すということは、これも町火消の活躍を誇る役目を持っていました。
町火消は「いろは四十八組」と言われる通りたくさんの組があったので、どこの組が現場にいるのかわかりやすくするため、纏の先にそれぞれの組独自の飾りをつけていたのです。
といっても大名火消のように華美なものではなく、形に工夫を凝らしていました。
文字で説明するのは難しいのですが、ひし形をつなぎ合わせて立体的にしたものだとか、円を縦に二つ並べて数字の「8」のようにしたものなんかがあり……羽織もそうですが、江戸時代のデザインセンスって結構スゴイですよね。
目立たなくてはいけないということは纏そのものも相当デカく、持って屋根の上に登る時点で相当の腕力を必要としました。
そんなわけで「纏持ち」と呼ばれる担当者もまた力自慢の人気者だったそうです。
ヘタをすれば纏ごと燃えてしまうので、組と自分の名誉のために頑張っていたとか。命がかかってるという意味では合戦と同じですし、江戸のヒーロー扱いされていたのも頷けます。
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上記、新門辰五郎親分など、江戸ではよく知られた火消しのヒーローで、徳川慶喜のお気に入りだったほどです。
いかにも粋な江戸っ子らしくて、そりゃカッコイイとなりますよね。
「風が吹けば桶屋が儲かる」の語源だという説も
では野次馬……もとい一般人はどうだったかというと、もちろん日頃から火事への備えをしていました。というか命じられていました。
「町人は各々水桶を準備するように」
ということで、一家に一台ならぬ一家に一桶分、常に水を用意して“おけ”というお触れが出ていたのです。桶だけに……失礼しました。
ちなみにこれが「風が吹けば桶屋が儲かる」の語源だという説もあるそうです。
よく知られているのは「風で土ぼこりが酷くなると目を病む人が増えて云々」のほうですが、「風が吹くと火事が広まりやすいから、桶を買って水を用意しろとお上が言ったので、桶屋が儲かった」というほうが確かに合点は行きますよね。とんちも何もないですけど。
とはいえ一度火が広がってしまえば対策が難しいというのは現代も同じこと。
ですからこうした工夫にも火事を激減させる効果はなく、その後も度々大きな被害をもたらしたことは皆さんご存知の通りです。
でも、もしかしたら記録に残っていないようなボヤなどは水桶や火消したちで対処できていたかもしれませんから、全くの無駄ではなかったと思いますけども。
日頃の備えと初期対応が大事なのは災害の基本ですものね。
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長月 七紀・記
【参考】
西山松之助/高橋雅夫『図説 大江戸の賑わい/河出書房新社』(→amazon)
国史大辞典
火消し/Wikipedia
NPO東京中央ネット(→link)