実は、織田信長による三段撃ちはなかったとか。
実は、田沼意次は強欲政治家というより先見性を持った経済人だったとか。
かつて歴史や日本史の時間に習ったことが実は違うのでは?――なんてことを社会に出てから知り、驚かされることがあります。
最近では【鎖国】や【廃刀令】なんかも、実情は違うという指摘があったりします。
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そんな中で、極めて衝撃的なのがこちら。
「江戸時代の士農工商って、実は結構ゆるかったんだよ」というのものです。
えっ???
うちの祖先はあの藩の武士だったと、誇りに思っていた方も。
うちは百姓かな、なんてぼんやり考えていた方も。
将軍様をトップに仰ぎ、
士=武士
農=農民
工=職人
商=商人
というような封建制度のもと、とにかく超厳格だった身分制度が根底から覆されるとなれば、それは驚かれるでしょう。
確かに、村を捨てて江戸などの都市部へ出てきた人間がいて、彼らを地元へ返す【人返し令】なんて法律があったことは知られています。
しかし、実はそれより一歩も二歩も進んでいて、あるときは医者、あるときは武士というように「身分と名前を使い分けていた」ケースもあったと言うのです。
授業で習ったよりもフレキシブルで、ゆえに現代人にとっても興味深い。
江戸の身分制度(士農工商)をみていきましょう。
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複数の名前を持つケースは割とある
まずは一つ想像してみてください。
未来人がこんな会話をしていたらどう思われます?
Aさん「西暦にして2020年頃からの令和時代、こちらの①氏は本名で勤務先に出勤していました。
しかし、家に戻ると同人作家として別のペンネームを使い、インターネット経由で収入を得ていたんですね。
一方、②氏の場合、昼はコンビニ店員、夜はYouTuberです」
Bさん「へえ、そんなことがあったんですね。
学校では、令和時代の人は名前はひとつだけで、夫婦別姓もなく、さらには副業禁止と習いました……」
何をトボけたこと言っていんだ、未来人よ!
別にそんなことは当たり前だし、SNSではむしろ実名を使わない!
令和人である我々はそう思うでしょう。
しかし、この例え話が、そっくりそのまま江戸時代人にも適用できるとしたら驚きませんか?
そもそも江戸時代以前の人々は、名前が複数ありました。
これがなかなかややこしいもので。
諱、仮名、通称、幼名、官名、出家すれば号など。偉い武士ならばそうでしょ……と、受け流しそうになりますが、江戸時代はその辺にいるような一般人でもそうでした。
百姓甲氏
「百姓ですが、金融業にも手出ししたい」
町人乙氏
「本名だと通じにくいから、屋号で名乗った方が商売としては早い。それじゃダメですか?」
武士丙氏
「武士ですが、医者もやります。武士の名前のままだと、医者としてどうかと思われますからね」
このように割とユルくて、さほど有害でもないときは、幕府としてもバカバカしくて取り締まりをしなくなるわけです。
お目溢し(おめこぼし)、まぁよいでしょう、ルールを守るならば――として黙認する。
現代人がビジネスと趣味の名詞を使い分けるように、江戸時代の人々は割と自由に名前を使い分けていたのでした。
江戸時代は「士農工商」という身分制度で社会が成立しているから、身分にふさわしい名前がある。ゆえに現代人以上に名前の使い分けは重要でもありました。
しかし身分間移動の厳格な取締など一々やってらんない。
こうした現象が当たり前だからこそ、目立った記録としては残されず、学校の授業でも「士農工商」という制度だけが教えられるのでしょう。
実際は身分も名前もフレキシブルだったんだよ――なんてことを小中学生に教えても混乱するだけですしね。
しかし、幕府にせよ奉行にせよ、中には黙っていられないケースもあった。
そのときは史料なり実態が残されます。
「違法行為」で罰せられるのは今と同じ
意外とユルい江戸時代の身分制度と名前の使い分け。これは現代人にとってのハンドルネームに似ていると、先ほど指摘させていただきました。
考えたいネットリテラシー問題があります。
「なんやこいつ! ほんまムカつく! 死ね! カス!」
こんな罵詈雑言もハンドルネームならば身元はバレない♪ 何でも書き込める♪
なんてことが大間違いだということは、皆さんご存知ですよね。
悪質な書き込みがあった場合、プロバイダ等を通じて本名が開示されます。
ハンドルネームだろうとなんだろうと言い逃れはできず、結果、100万なり200万なりのお金を払わされる。
これは江戸時代も同じことでした。
複数の名前を使って「違法行為」をすれば、江戸時代でも奉行が調査を開始したのです。
お済みですか? あなたの身分移動
江戸時代は身分と名義がセットになっており、なおかつ金銭売買できるケースもありました。
そのことそのものは罰せられません。
問題は、手続きが中途半端だったケースです。
例えば、町人の身分のままだった、きっちりと武士になってはいない、にもかかわらず帯刀してお供もつけ、武士の格好で移動していたことが発覚する――。
町人が武士になることそのものは悪くない。
ただ、手続きとして問題がある。こういう場合は、罰則があったと記録に残っています。
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