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【天保の改革】
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外国絡みの事件が立て続けに起きる
一つ目の騒動が天保八年(1837年)の【モリソン号事件】です。
この当時
【異国船打払令】=「外国の船は片っ端から砲撃で追い払え!」
というかなりトンデモな法律がありました。
モリソン号事件のときは、これが非常にマズイことになりました。
というのも、このアメリカ船は、日本人の漂流民「音吉」を送還しに来ていたからです。
江戸時代にイギリス人となった音吉~帰国叶わず数奇な漂流人生を送る
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「漂流民を届けて恩を売って、通称を始めよう」
そんなアメリカサイドの下心もあったようですが……なんにせよ人道的な理由で来航した船を、問答無用で追い払ってしまうのは偏屈すぎますね。
もう一つは、江戸時代後期の話題でよく出てくる【アヘン戦争】です。
1840~1842年に中国で起きた対イギリスの戦争で、幕府や日本は直接関係ありません。
しかし「清の敗北」という結果は大きな衝撃を与えました。
色々と関係悪化や紆余曲折があったにせよ、日本にとっての中国は卑弥呼の時代から「偉大な国」というイメージがあります。
それがあっさり負けてしまったのですから、幕府が「これまでのように、西洋諸国を力尽くで追い払うことは難しい」と考えを変えるのも、ごく自然なことです。
天保の改革の背景
少々長くなったので、このあたりで一度スッキリさせておきましょう。
【天保の改革の背景】
・主導者である水野忠邦は、元々野心バリバリの人
・天保の大飢饉で農民も都市部もボロボロ
・大名家は徳川家斉の子女がいるかどうかで贔屓の有無が決まっていた
・モリソン号事件で「西洋の国が日本に通商を求めてきている」ことがわかった
・アヘン戦争で清が負けて「力尽くでは西洋諸国を撃退できない」ことに気付いた
だいたいこんな感じです。
どれを見ても、現代の我々も「ヤバイ」と思いますよね。これ全部とか悪夢でしかありません。
こんな状況の中で、忠邦みたいなやる気満々な人が政治の責任者になったのですから、普通は大なり小なり成功してしかるべきです。
しかし、結果は前述の通り大失敗。最初に理由を申し上げておきますと、忠邦があまりにも理想主義者だったからです。
彼のモットーは
・綱紀粛正!
・倹約励行!
・風俗是正で世の中を良くする
というものでした。
しかも彼は「お上」の威光の名のもとに、これらをゴリ押ししまくり、アッチコッチで反感を買いまくります。
中でも厳しく命じたのが
・奢侈=ぜいたくを取り締まる!
でした。
贅沢の禁止!髪結まで対象とか……
贅沢の禁止は、衣食住をはじめ娯楽などあらゆる面に及びます。
例えば、高価な装身具や女髪結などが槍玉に上がりました。
女髪結とは、現代でいえば女性の美容師のことです。
江戸時代の前半あたりまで、一般の女性は自分で髪を結うのが当たり前でしたのですが、日本髪のバリエーションが豊かになるに従って、自分で結えないような髪型のほうが人気になっていきます。
となると、専門家に結ってもらうのが当たり前になるわけです。
とりわけ遊郭の遊女たちや大きな店の女将なども、女髪結にとって「太い客」でした。大口顧客ですね。
忠邦主導の幕府からすると、これは
「髪なんぞ自分で結えるのに、他人にやらせるとは何たるワガママで贅沢! ケシカラン!!」
となるわけですね。
それで世の中に米が一石でも多く出回るのなら意味もありましょうが、髪型を地味にしたからといって、そんなことが起きるはずもありません。
こうして庶民の生活にまで口を出しまくるくらいですから、もともと派手な業界はさらに激しく弾圧されました。例えば……。
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