竹中重義・踏み絵

イエス・キリストの踏み絵/photo by Chris 73 wikipediaより引用

江戸時代

日本で最初に「踏絵」を行使した竹中重義はあの半兵衛の親戚だった

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
竹中重義
をクリックお願いします。

 


右近の領地だったため信仰が続いた

キリスト教は明治六年(1873年)から認められました。

それ以降信仰を隠す必要はなくなったのですが、現在もヨーロッパのやり方ではなく、先祖代々のやり方で信仰を保っている家は少なくありません。

たまにテレビでも取り上げられるので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

隠れキリシタンの里だったと思われる集落は長崎以外にも多数存在しますが、もともと迫害されていたものですから、当時の信仰を表すものは破損しているケースが多々見られます。

長野県塩尻市の大宝寺にある「マリア地蔵」などは、首を落とされてしまっていてかなり恐ろしい感じが漂います。

マリア地蔵

大宝寺のマリア地蔵

その中で珍しく、状態の良い物が残っているのが茨木市立キリシタン遺物史料館です。

このあたりはかつて高山右近の領地だったため、彼が流刑になってしまった後も信仰を保ち続けた家が多かったのだとか。

高山右近
戦国武将でキリシタンの高山右近はなぜマニラに没した?63年の生涯

続きを見る

京や大阪から近いものの、山中であったことも幸いしたようです。近くに天満宮もあるので、カムフラージュになったのかもしれませんね。

 


ザビエル肖像画を拝見するなら事前にお申し込み

誰もが一度は見たことのあるザビエルの肖像画は、この資料館近辺の家で見つかったそうですよ。

ザビエル/wikipediaより引用

今は神戸市立博物館所蔵になっていますが、どこから何が出てくるかわからないものですね。

ザビエル
あのザビエルはドコ行った?日本にキリスト教を伝えた宣教師の行方

続きを見る

外観は日本家屋と西洋建築が部分的に混ざり合った感じになっていて、こぢんまりした建物のためか、5名以上で見学する場合には10日前までに団体見学申込書を出す必要があります。

グループ旅行や修学旅行で訪れる際には、注意が必要ですね。

隠れキリシタンの血を引く周辺の人々が持ち回りで受付等をされているので、かなり詳しいお話を聞くこともできるのだとか。

時間に余裕を持って、いろいろ聞けるようにしておくといいかもしれませんね。


あわせて読みたい関連記事

竹中半兵衛重治
竹中半兵衛~官兵衛と並び称される軍師は本当に天才だったのか~36年の生涯まとめ

続きを見る

土井利勝
土井利勝は家康の隠し子?参勤交代や寛永通宝など江戸時代の基礎を作った功績

続きを見る

松平忠直
家康の孫・松平忠直が幸村を討ち取った!それでも徳川家に疎まれる理由とは?

続きを見る

コメントはFacebookへ

島原の乱
最後の戦国「島原の乱」を制した知恵伊豆がエグい~板倉重昌は無謀な突撃で討死

続きを見る

徳川慶喜が将軍になるまで
だから徳川慶喜を将軍にしたらヤバい! 父の暴走と共に過ごした幼少青年期

続きを見る

大政奉還
なぜ大政奉還が実施されても戊辰戦争が始まったのか~激突する西郷と慶喜の思惑

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路』(→amazon
茨木市(→link
竹中重義/wikipedia
隠れキリシタン/wikipedia
浦上四番崩れ/wikipedia
茨木市立キリシタン遺物史料館/wikipedia

TOPページへ


 



-江戸時代

×