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【竹中重義】
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右近の領地だったため信仰が続いた
キリスト教は明治六年(1873年)から認められました。
それ以降信仰を隠す必要はなくなったのですが、現在もヨーロッパのやり方ではなく、先祖代々のやり方で信仰を保っている家は少なくありません。
たまにテレビでも取り上げられるので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
隠れキリシタンの里だったと思われる集落は長崎以外にも多数存在しますが、もともと迫害されていたものですから、当時の信仰を表すものは破損しているケースが多々見られます。
長野県塩尻市の大宝寺にある「マリア地蔵」などは、首を落とされてしまっていてかなり恐ろしい感じが漂います。
その中で珍しく、状態の良い物が残っているのが茨木市立キリシタン遺物史料館です。
このあたりはかつて高山右近の領地だったため、彼が流刑になってしまった後も信仰を保ち続けた家が多かったのだとか。
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京や大阪から近いものの、山中であったことも幸いしたようです。近くに天満宮もあるので、カムフラージュになったのかもしれませんね。
ザビエル肖像画を拝見するなら事前にお申し込み
誰もが一度は見たことのあるザビエルの肖像画は、この資料館近辺の家で見つかったそうですよ。
今は神戸市立博物館所蔵になっていますが、どこから何が出てくるかわからないものですね。
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外観は日本家屋と西洋建築が部分的に混ざり合った感じになっていて、こぢんまりした建物のためか、5名以上で見学する場合には10日前までに団体見学申込書を出す必要があります。
グループ旅行や修学旅行で訪れる際には、注意が必要ですね。
隠れキリシタンの血を引く周辺の人々が持ち回りで受付等をされているので、かなり詳しいお話を聞くこともできるのだとか。
時間に余裕を持って、いろいろ聞けるようにしておくといいかもしれませんね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『御家断絶―改易大名の末路』(→amazon)
茨木市(→link)
竹中重義/wikipedia
隠れキリシタン/wikipedia
浦上四番崩れ/wikipedia
茨木市立キリシタン遺物史料館/wikipedia