間宮林蔵

宗谷岬にある間宮林蔵像

江戸時代

間宮林蔵は潜伏が得意な幕府のスパイ?樺太海峡を発見した農民の正体

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間宮林蔵
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「ホームレスの変装は大変だったなあ」

また、幕府の目を掻い潜って密貿易をやっていた浜田藩(現・島根県浜田市周辺)に忍び込み、調査・報告をするなど「アンタはどこのCIAなんだ」とツッコミたくなるような仕事もしていたそうです。

なんでも変装を得意としており、上記のアイヌ語を活かしてアイヌ人になりきったり、ホームレスに化けてアヤシイ地域の周辺を調べたり。

後年「ホームレスの変装は大変だったなあ。だって財布隠すところがないんだもん」(意訳)と述懐していたらしく、なんだか楽しんでやっていた節を感じさせます。

この働きは地元の殿様・徳川斉昭にも知られていたようで、ちょくちょく出入りしていたそうです。

プチャーチンと交渉に当たった川路聖謨や、水戸学の大家・藤田東湖とも知己だったとか。

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水戸学は、黄門様が編纂させた”大日本史”から始まる学問ですが、「外国人なんかぶっ殺すぞ!」という小攘夷(=テロ行為)も盛んにした、危険思想とも言えたので、手放しで喜べたものでもないんですけどね。

最終的には、天狗党の乱などに発展するなど、かなり血なまぐさいことになっています。

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林蔵は、巻き込まれていはいません。

 


さすがに忍者説は流れておりませんが

ただし寄る年波には運も味方しなかったようで、晩年は隠密としての仕事はできないほど体が弱っていたようです。

そりゃあ樺太やら島根やら明らかに気候の違うところに移動しまくってたら、体にキますよねえ。

恨みを買って襲われた――なんて目には遭っていないので、職業の割にはかなり穏やかな最期だったのではないでしょうか。

享年70。

当時としてはかなり長生きです。

林蔵の子孫に当たる方は今でも続いており、その方々が保存してきた遺品などが茨城県つくばみらい市の間宮林蔵記念館で展示されているそうですよ。

”隠密”にしてはいろいろわかっているというのも不思議なものですが、案外名の知れた人物がこうした仕事を兼ねていたというのは珍しくないのかもしれません。

さすがに松尾芭蕉=忍者説はあり得ないとは思いますが。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
間宮林蔵/wikipedia

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