間宮林蔵

宗谷岬にある間宮林蔵像

江戸時代

間宮林蔵は潜伏が得意な幕府のスパイだった?樺太海峡を発見した農民の活躍

2025/02/25

天保15年(1844年)2月26日は間宮林蔵の命日です。

樺太海峡を発見したとされる方ですが、それは命日から約35年前の文化6年(1809年)のこと。

実際に発見したのは別の幕臣で、林蔵の名前を伝え聞いたシーボルトが海峡の一部に「間宮」と名付けたため、微妙に違うんですが……まあそれはそれとして、実はこの人、類稀な強運の持ち主だったりします。

その生涯を振り返ってみましょう。

 


伊能忠敬に代わり西蝦夷の測量をこなす

元々林蔵は武士の出身ではありません。常陸国(現・茨城県)の農民の出です。

ではどうして樺太調査という、お上の仕事に携わることになったのか?

というと、地元の治水工事に参加したときに手際を認められて「お前筋がいいから、お役所の仕事してみないか?」と誘われたのがきっかけでした。

もちろん単なるラッキーだけでもなく、幼少の頃から数学的才能を認められていて、それが目に留まったのです。

その後、伊能忠敬から測量技術を学び、

伊能忠敬/wikipediaより引用

師匠が健康を害したとき、代わりに西蝦夷(現在の北海道西部)の測量を担当。

弟子入りしたのが19歳で、代理をしたのがその4年後ですから、元が農民であることを考えるとかなりの出世スピードではないでしょうか。

 


こっそり樺太から中国大陸へ!?

興味のあることには全力投球する人だったのでしょう。

本来の仕事以外のことも積極的に取り組んでいたようです。

「アイヌ語をマスターして現地の人と話せるようになった」とか、「蝦夷地にアイヌ語が通じない独自の民族がいることを記録した」とか、お役目の片手間にしては結構な偉業を成し遂げています。

ラッキーだけじゃなく頭の良い方であったのは間違いありません。

また、この鎖国真っ最中の時代に、樺太からこっそり中国大陸に渡ったこともあるそうで、よく物理的に首が飛ばなかったものです。

後世に残された絵だと、いかにも純朴そうな赤ら顔の人なんですが……石破総理似?

間宮林蔵/wikipediaより引用

ちなみに、なぜお咎めを受けなかったのかというと、林蔵は隠密として海沿いの地域で起こったアレコレについて報告していたからのようです。

特にロシアとはまだプチャーチンが来る前=正式に国交を結ぶ前のことなので、近くをウロチョロされる度に小さないさかいが起きていました。

江戸幕府も国内では最も海外事情に通じており、ロシアに対する警戒感を強めていたんですね。

その辺の事情は工藤平助と田沼意次の記事に詳細がありますので、よろしければ記事末にあるリンクからご覧ください。

 

「ホームレスの変装は大変だったなあ」

間宮林蔵は、幕府の目を掻い潜って密貿易をやっていた浜田藩(現・島根県浜田市周辺)に忍び込み、調査・報告をするなどスパイのような仕事もしていたとか。

なんでも変装を得意としており、アイヌ語を活かしてアイヌ人になりきったり、ホームレスに化けてアヤシイ地域の周辺を調べたり。

後年「ホームレスの変装は大変だったなあ。だって財布を隠すところがないんだもん」(意訳)と述懐していたらしく、なんだか楽しんでやっていた節を感じさせます。

この働きは地元の殿様・徳川斉昭にも知られていたようで、ちょくちょく出入りしていたそうです。

プチャーチンと交渉に当たった川路聖謨や、水戸学の大家・藤田東湖とも知己だったとか。

藤田東湖/wikipediaより引用

水戸学は、黄門様が編纂させた”大日本史”から始まる学問ですが、「外国人なんかぶっ殺すぞ!」という小攘夷(=テロ行為)も盛んにした、危険思想とも言えたので、手放しで喜べたものでもないんですけどね。

最終的には、天狗党の乱などに発展するなど、かなり血なまぐさいことになっています。

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林蔵は、巻き込まれていはいません。

 


さすがに忍者説は流れておりませんが

ただし寄る年波には運も味方しなかったようで、晩年は隠密としての仕事はできないほど体が弱っていたようです。

そりゃあ樺太やら島根やら明らかに気候の違うところに移動しまくってたら、体にキますよねえ。

恨みを買って襲われた――なんて目には遭っていないので、職業の割にはかなり穏やかな最期だったのではないでしょうか。

享年70。

当時としてはかなり長生きです。

林蔵の子孫に当たる方は今でも続いており、その方々が保存してきた遺品などが茨城県つくばみらい市の間宮林蔵記念館で展示されているそうです。

”隠密”にしてはいろいろわかっているというのも不思議なものですが、案外名の知れた人物がこうした仕事を兼ねていたというのは珍しくないのかもしれません。

さすがに松尾芭蕉=忍者説はあり得ないとは思いますが。


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【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
間宮林蔵/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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