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【天一坊事件】
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幕府が「アイツは偽者!」という結論
どちらかというと「母親が手をつけられたのは、吉の字がつく和歌山城内の別の人物だった」というほうがありえそうな話です。
天一坊が生まれた時点での将軍は徳川綱吉なので、武家では”吉”を避ける傾向があった(避諱)にせよ、どこまで徹底していたかは疑問でしょう。
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こうした諸々のツッコミどころが浮上してきたため、幕府は最終的に「アイツは偽者!」という結論を出しました。
そして「ご落胤を名乗り、浪人を集めて世間を騒がせたのはけしからん」ということで打首獄門になります。
ちなみに、打首は首を刎ねる刑、獄門は首をさらす刑です。
順番として打首→獄門になるため、もはや慣用句扱いになってますが。
江戸時代の刑罰は複雑な上、基本的にグロいので詳細は省きますけども、類似の犯罪が頻発しないように、犯人や遺体を晒すというのはよくあることでした。
何はともあれ、天一坊の処刑によりこの騒動は一段落し、その後みだりに「将軍のご落胤」を名乗る人物は出てこなかったようです。
まぁ、命がかかってしまいますからね。
DNA鑑定のない時代、本物のご落胤でも名乗れないかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
日本大百科全書
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon)
天一坊事件/wikipedia