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【隅田川花火大会】
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西日本へ米を回したため、江戸で打ちこわしが発生
飢饉が起きて怖いのは、餓死や飢えの連鎖だけではありません。
空腹に耐えかねた庶民たちが蜂起し、商家や倉庫から米を奪い取る「打ちこわし」が起きることもありました。
実際、享保の大飢饉のときにも食糧危機に瀕した西日本へ米を送ったために東日本での価格が高騰、江戸の町で打ちこわしが発生しております(日本橋では1700人もの農民が参加して大規模な強奪が敢行されたとの記録も)。
数字での記録は不明ですが、当然ながら死者やケガ人も出たでしょう。
ちなみに天明の大飢饉では人肉を食したり売りさばいたなんて記述もあるほどですから、飢饉とは本当に恐ろしいものです。
天明の大飢饉は浅間山とヨーロッパ火山のダブル噴火が原因だった
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かくして荒廃しきった人心に潤いを与え、餓死者の魂を弔う儀礼を実施したのが徳川吉宗。
その起源は前述の通り享保18年(1733年)5月28日、両国橋附近で行われた「水神祭での打上げ」であり、そのときの花火が、現在の隅田川花火大会へと続いているワケです。
夜空に煌めく無数の光――ぜひとも来年は冥福の祈りを捧げたいところです。
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文・五十嵐利休
【参考】
国史大辞典
隅田川花火大会公式サイト(→link)
ほか