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【吉宗の将軍就任ミステリー】
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もしも吉宗が将軍になっていなかったら?
当初は「御三家筆頭は尾張家なんだから、当主の吉通(よしみち)様がふさわしいだろJK!!」(超訳)ということになっていました。
家宣の意向も同じです。
ところが!
吉通がこれまた何の前触れもなく突然23歳で夭折。
この時点で将軍候補は吉宗以外にいなくなってしまったのです。おいおいおい…。
これで立て続けに亡くなった徳川家の重要人物たちは全部で7名(光貞、綱教、頼職、綱吉、家宣、家継、吉通)。
本人の意思かどうかはわかりませんが、もし吉宗を将軍にしたい勢力があり、次々と障害になる人物を(ピー)していたら……と考えると背筋が凍りません。
よしながふみ先生の『大奥』では、あの人が黒幕ということになっていましたが、はてさてどうだったやら。
ここでもし吉宗が将軍にならなかったら、江戸幕府そのものが大きな影響を受けていたことは間違いないですから、その後の日本もどうなっていたかわかりません。
ほとんどの大名家はすっかり平和な時代に慣れていたので、戦乱の時代に逆戻りというよりは、各藩が好き勝手に自領を統治して分裂状態になってたんじゃないかなーと思いますが。
ちょっと穏やかな神聖ローマ帝国みたいな感じでしょうか。
起こらなかったことの予測は不可能ですし、吉宗サイコー!!と言うつもりもないですけれど、密かに「歴史が動いた」出来事だったんでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
徳川吉宗/wikipedia
徳川頼職/Wikipedia