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【鼠小僧】
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三千両以上の盗みを自白→市中引き回し獄門
二度目ともなると流石に観念したらしく、鼠小僧は意外なほどあっさり罪を白状しました。
いわく金額にして三千両だとか。
いろいろ言っていたそうですが、10年も盗みを働いていたので本人の記憶があいまいな部分もあり、正確な被害総額はわからないそうです。
これが本当であれば江戸の武士達はこれだけの被害をこうむって、コソドロを取り逃がしているわけです。うーん、それでいいのか。
当然無事で済むわけがなく、鼠小僧は「市中引き回しの上獄門」という放火犯や殺人犯並みの刑が下されます。
あまりに回数が多かったことと、面子を潰された被害者や奉行たちの腹いせと、両方の理由があったのでしょうね。
ちなみに「市中引き回し」は体を拘束された状態で馬に乗せられ、「こいつはこれこれの罪を犯したので打首です」と世間に知らせて回る罰です。「縛られた上で馬に引きずられる」わけではありません。
市中引き回しは打首などの死罪でないと適用されなかったので、引き回されている時点で「今度処刑されるのはあいつか」なんて思われていたことでしょう。
「獄門」については細かく解説すると具合が悪くなってしまう方がいらっしゃるかもしれないので割愛します。
庶民にお金はくれなくとも義賊に
市中引き回しになっているからには江戸の庶民の大多数は鼠小僧の悪行を大体知っていたわけです。
「鼠小僧は悪い大名から庶民にお金をくれたいい人」というイメージは江戸以外のところから出た話なのでしょうね。
武家屋敷は江戸城と同じく女性ばかりの「奥」と男性ばかりの「表」に分けられていることが多く、奥に入ることさえできれば盗みを働きやすかったからという理由で狙っていたようなので、鼠小僧本人は義賊扱いされて頭をかいていたかもしれません。
江戸に強い反発感情を持っていた地域の誰かが「鼠小僧って良いヤツっぽくね?」と言い出し、別の人が「それ採用www」と食いついた結果、あれよあれよと広まってイメージが固定化されてしまったのかな。
ちなみに、罪人の割に鼠小僧のお墓はしっかり現存しています。
なぜ……?
とツッコミたくなってきますが、おそらく上記の話を信じた庶民が建てたのでしょう。
「鼠小僧の墓石を削ってお守りにするとギャンブル運が上がる」
「志望校に”するり”と入れる」
そんないわくまでついているそうで、なんだかなぁ。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
氏家幹人『殿様と鼠小僧 松浦静山『甲子夜話』の世界 (講談社学術文庫)』(→amazon)
鼠小僧/wikipedia