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【華岡青洲】
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欧州では「患者の体を押さえつけて根性で耐えさせる」
ここまで欧州の話があまり出ていません。
ヨーロッパでは「内科が医師、外科は職人」という概念が長い間主流だったのです。
刃物を使うからか、理容師が外科手術や歯科の治療を行っていたこともありました。
現代でも床屋さんの看板(サインポール)が赤・白・青の三色なのは、「動脈・静脈・包帯を表している」という説がありますね。
血管に動脈・静脈があるとわかったのは17世紀なのでガセかもしれませんが、何となく納得はできます。
他の地域での外科手術については、上記の通り麻酔らしきものの記録があるのですが、ヨーロッパにおいては「患者の体を押さえつけて根性で耐えさせる」という拷問に等しいやり方だったようです。聞くだけでゾッ!
まして衛生状態がよくない時代のこと、手術そのものが成功したとしても、その後の感染症で亡くなった患者は膨大な数だったことでしょう。
戦場や野戦病院であればなおのことで、「白衣の天使」ことナイチンゲールがクリミア戦争のときに衛生状況を改善するまで、戦死者と戦病死者の数はさほど変わらなかったとか。
これはおそらく、ヨーロッパで「病気」という概念が実際と大きく異なっていたためと思われます。
ローマ帝国の時代に公衆浴場があったことは有名ですが、当時は混浴が主流だったため、アーッな関係になることも多々ありました。
現代でも不特定多数の相手とするといろいろな病気の原因になることがありますが、当時はここから飛躍して「風呂に入ると病気になる!!」という考えが主流になってしまいました。
そのため風呂や水浴びなどが敬遠されてしまい、衛生という概念が実情と大幅に違うものになってしまったのです。
お湯を沸かすための燃料が高価すぎて、ほとんどの人は調達できませんでしたし、アジア圏と比べて寒冷=汗をあまりかかないことや、雨が比較的少ないといった理由もあるでしょう。
となると「傷口を洗うなんてとんでもない!」ということにもなりますよね。
それでなくても周りの人や本人の皮膚も(現代の常識的には)衛生的とはいい難いわけで……。
今も全身麻酔の仕組みは完全にはわかっていない
このため、ヨーロッパで「患者の苦痛を軽減する」とか「衛生状況を良くする」という概念が生まれたのは、日本よりも後だったりします。
江戸時代の蘭学者の間で外科手術があまり発展しなかったのも、多分この辺が絡んでいると思われます。
江戸時代は儒教が広まった時期でもありますので、上記の通り「親からもらった体にわざわざ傷をつけるべきではない」という理由も大きいのでしょうね。
あとは「痛そうだからヤダ」「ンなことしたら死ぬじゃねーかjk」(※イメージです)とか。そりゃそうだ。
そんなわけで、青洲が麻酔を生み出したことは非常に画期的だったわけですが、実は全身麻酔の仕組みは今もわかっていない部分が多かったり……。
外科手術というと執刀医の腕前に注目が集まりがちです。
しかし、そもそも患者の容態をコントロールしている麻酔科医もまたスゴイんですね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon)
華岡青洲/wikipedia
麻酔/wikipedia
内科・末廣医院(→link)
華佗/wikipedia