大槻玄沢

親・子・孫で顕彰される大槻三賢人の像(玄沢・磐渓・文彦)

江戸時代

大槻玄沢が発展させた蘭学&医学|師匠の玄白や良沢はどう見ていた?

2025/03/29

文政10年(1827年)3月30日は大槻玄沢の命日です。

幕末前のこの時代、国内では文化芸術が爛熟する一方、新たな知識を求めて蘭学に答えを求めた学者たちが活躍しました。

『解体新書』でお馴染みの杉田玄白と前野良沢です。

大槻玄沢は、この両人から通り名を得て、後世へ教えを伝えた功績者。

大槻玄沢/wikipediaより引用

本稿で、その生涯を振り返ってみましょう。

 


宝暦年間――江戸後期に生まれて

大槻玄沢が生誕した宝暦7年(1757年)は、江戸幕府中興の祖である徳川吉宗が没して改元された時代です。

跡を継いだ徳川家重と徳川家治の時代――宝暦年間は幕政の歪みが深まってゆく時期とも言えるでしょう。

玄沢は一関藩の医師である大槻玄梁(げんりょう)の子として、陸奥国磐井郡中里に生まれました。

もしも彼がもっと前の時代に生まれていたら、この陸奥国生まれであることが大きなネックとなっていたかもしれません。

藩医となった父に伴われ、一家は一関へ。

玄沢は、そこで医師・建部清庵に師事し、医学のみならず語学の才能を見出されると、安永7年(1778年)に江戸への遊学を許されました。

このとき22歳。

いざ江戸に出向いてからは、清庵と付き合いのあった杉田玄白の私塾・天真楼に通うこととなりました。

杉田玄白/wikipediaより引用

幸運にも、そこにはオランダ語の達人といえる前野良沢がいました。

おそらく大槻玄沢の親世代であれば、こうはトントン拍子に話は進まなかったでしょう。

少し前までの世代では東洋医学である【漢方】に限られ、言語能力もそこまで問われない。

時代が変わったのは、杉田玄白と前野良沢らが『ターヘル・アナトミア』を翻訳し、安永3年(1774年)に『解体新書』が発行されてからです。

玄沢が江戸に出てくる4年前のことですね。

この一冊の登場により、医学と語学の才能を持ち合わせた人材が求められるようになり、まさしく玄沢はそれに相応しい人物でした。

何かと江戸から遠い陸奥国生まれのハンデを克服できたのも、そうした追い風があったからでしょう。

師匠である杉田玄白は江戸生まれ。

前野良沢は長崎に近い中津藩医です。

前野良沢/wikipediaより引用

玄沢は、彼らを通じて新たな文化に触れ、蘭学の習得が進むことができた。弟子の世代は、師匠が切り拓いた道を歩むことができたのです。

後に杉田玄白本人ですら『蘭学がこれほど盛んになるとは思っていなかった』と振り返っているほどです。

師匠たちによって種が蒔かれ、蘭学が芽吹く時代に大槻玄沢は江戸に出てきたのでした。

 


蘭学期待の弟子として

杉田玄白には、大勢の弟子がいました。その中でも大槻玄沢に目をかけたのは、その資質に興味を惹かれたからです。

彼は実地にあたってみないと納得しない。

納得できなければ、話すことも書くこともしない。

気が強いというわけではないが、うわついたことは一切好まない。

そしてなんといっても、生まれついての蘭学の才があるとしか思えない――。

玄白は、そんな彼の特性に興味を抱き

「外科については、大槻玄沢君に任せたい!」

と期待を寄せるようになったのです。

弟子の玄沢も、その期待に応えるように修練を積んでいきます。

天明3年(1783年)には蘭学の入門書である『蘭学階梯』を著し、塾内で好評となると、玄白が後押しして同著を出版させるべく働きかけました。

蘭学階梯/国立国会図書館蔵

しかしそれにはカネがかかります。

玄沢は決して裕福とは言えませんし、師匠の玄白も同じこと。

それでも玄沢の名声が高まるよう玄白が背中を押し、いざ『蘭学階梯』を出版させると、師匠の狙いは大当たり。

玄沢は各方面から「これぞ期待の翻訳家である」と目をかけられるようになり、師匠の玄白は中川淳庵や桂川甫周らを紹介するなどして、玄沢の交友と学問を広めました。

天明4年(1784年)、病の父のため一関へ戻り、その父が亡くなると家督を継ぎ、翌年の天明5年(1785年)、藩主に従って江戸へ戻ってきた玄沢。

この後、かねてより希望していた長崎遊学を許され、4ヶ月ほど現地で蘭学に励むと、語学力はさらに磨かれ、人脈も開拓したことがさらなる飛躍へと結び付いてゆきます。

 

蘭学界に大槻玄沢あり

天明5年(1785年)、大槻玄沢は一関藩の本藩にあたる仙台藩で藩医に抜擢され、江戸詰となりました。

彼を推薦したのが工藤平助です。

仙台藩医である平助は、享保19年(1734年) 生まれ。前野良沢の一回り年下、杉田玄白の同年代にあたります。

平助は医師としてよりも、ロシアを研究した『赤蝦夷風説考』の筆者として知られています。

工藤平助が著した『赤蝦夷風説考』/wikipediaより引用

18世紀後半ともなると、ヨーロッパでは航海技術が向上し、帝国主義も芽生えつつありました。

ロシアからみれば日本は隣国であり、その影がさすのは当然のこと。

蘭学者たちは学問だけにはとどまらず、外交や国防についても思いを巡らせる時代となっていたのです。

寛政元年(1789年)、江戸詰になったことを契機に、玄沢は私塾・芝蘭堂を開き、多くの弟子を育てました。

結果、蘭学界にその人ありと、名を知られるようになったのです。

彼ら蘭学者のもと、江戸にはじわじわと西洋文化が根付いてゆきました。

例えば「オランダ正月」などはその一例。

キッカケは寛政6年(1794年)に江戸へやってきたオランダ商館長ヘイスベルト・ヘンミーです。

彼らが滞在する長崎屋を訪れたとときに、グレゴリオ暦を取り入れた「オランダ正月」という行事を蘭学者たちは楽しむようになったのです。

ちなみに、ロシア帰りの大黒屋光太夫も、ここに招かれていました。

大黒屋光太夫と磯吉/wikipediaより引用

 


フランス革命の影響が日本にも及ぶ

江戸で蘭学者たちが西洋の文物を楽しんでいる頃、ヨーロッパでは大きく歴史が動いていました。

フランス革命、そしてナポレオン戦争が勃発。

幕府は密かにその情報を入手し、驚愕していました。

当時の日本人からすると、フランス革命とは大規模な百姓一揆です。庶民に将軍と御台所の首が刎ねられるなど、幕府にとっては悪夢にほかなりません。

バスティーユ襲撃/wikipediaより引用

フランス革命の背景には、世界規模の寒冷化による不作も影響していました。

当然のことながら、日本にもその悪影響はあり、一揆はますます増え、それに伴い治安も悪化。

暗雲たちこめる時代の狭間で、大槻玄沢は幅広い好奇心と知識をもとに、様々な著作をまとめてゆきます。

・オランダ商館長との対談をまとめた『西賓対晤』

・百科事典『厚生新編』の翻訳、『生計纂要』として宮城県指定有形文化財となる

・漂流者の証言をまとめた『環海異聞』執筆

などなど……玄沢には、実に300を超える著訳書があるとされます。

文化8年(1811年)には、幕府から蘭書の翻訳を依頼されるようにもなりました。

恩師の杉田玄白は喜びと共にそのことを振り返っています。

ふと思い立って志を同じくする者と始めた蘭学が、こうも大きく育ち、御公儀にまで認められるとは……そんな感謝の思いは『蘭学事始』に記されています。

そして玄白が文化14年(1817年)に亡くなると、その10年後の文政10年(1827年)に大槻玄沢も死去。

当時としてはかなり長生きとなる享年70でした。

 

後世につながる知識

杉田玄白や大槻玄沢の後を担う蘭学者たちは、程なくして苦しい時代を迎えます。

日本と西洋の関係は緊迫化の一途をたどり、西洋の学問を学ぶ蘭学者たちには向かい風となるばかり。

その現れとも言える事件が、玄沢の死から12年後の天保10年(1839年)に起きます。

幕府の海禁政策に異を唱える高野長英渡辺崋山らが【蛮社の獄】によって厳しい処罰を受けるのです。

渡辺崋山/wikipediaより引用

さらに時代がくだると、西洋に目を向ける者たちはこんな現実に直面します。

もはやオランダ語だけではいけない。英語も学ぶべき――と幕府も認識をあらため、英語のできる通詞の育成に努めます。

そしてついには【黒船来航】を迎え、江戸幕府と諸藩は新たな動乱の時代へと向かってゆくのです。


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【参考文献】
杉田玄白著/片桐一男訳『蘭学事始』(→amazon
片桐一男『杉田玄白 (人物叢書) 』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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