慶長5年(1600年)10月12日は九鬼嘉隆が自害した日です。
九鬼嘉隆と言えば『信長の野望』などの戦国ゲームで、日焼けした精悍な姿が定番です。
なぜなら彼が織田家の覇権を支えた【水軍】のリーダーだったからであり、石山本願寺との合戦においては毛利家の水軍と戦ったことでよく知られています。
それがなぜ自害に追い込まれたのか?
慶長5年の10月と言えば、9月に関ヶ原の戦いが勃発した直後のこと。
つまりは西軍について敗れたことが想像できますが、実は彼の息子は徳川家康の元に馳せ参じており、場合によっては九鬼嘉隆も真田昌幸のように静かな余生を過ごすこともできたはず。
一体何が起きたのか、その生涯を振り返ってみましょう。
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中世の水上交通は命懸けだった
織田水軍を率いた九鬼嘉隆は、どんな人物だったのか――本題に入る前に当時の交通事情を見ておきたいと思います。
治安がとにかく悪い中世は、道を歩いて移動するだけで命懸けでした。
野生動物のみならず、山賊や追い剥ぎに襲撃されるためです。
水上での移動も同じこと。船の上は逃げ道もなく、一歩間違えたらそこで人生終了となりました。
そんな危険ばかりでは、一向に海の上は進めないではないか?
そこで、運賃を受け取って物品や人を移動させる集団が登場します。
江戸時代以降はこの勢力は制限され、大名の所有船にも規制がかかりましたが、そうなる前の賑やかな海にいた勢力が九鬼氏でした。
残念ながら、九鬼氏の出自は不明な点が多い。
水運を担ううちに勢力を拡大させていった一族ということでしょう。
そんな天文11年(1542年)、志摩国波切城にて九鬼定隆を父とする男児が生まれます。
そう、九鬼嘉隆です。
父の定隆が天文20年(1551年)亡くなると、家督を継いだのは長兄の九鬼浄隆であり、田代城主となりました。
しかし永禄3年(1560年)、この田代城が攻められます。
攻め手は志摩の【海賊】勢力であり、この戦いで浄隆が没すると、嘉隆は兄の遺児・九鬼澄隆と共に逃げ落ちます。
その後、出会ったのが、あの織田信長でした。
海賊から水軍へ 変わる戦国の水上戦
前述の通り、当時の海上交通は危険と隣り合わせ。
そんなときに警護を担う水上集団は【警固衆】や【海賊衆】と呼ばれました。
特定の勢力につくわけでもなく自由度が高い――こうした【海賊】から、特定の勢力のもとで水上戦を担う集団として、大名家につく勢力を【水軍】と呼びます。
ただし、この言葉は史料には見られず、後世便宜上呼ぶようになった名称です。
織田家に出仕した九鬼嘉隆もまた水軍へ移行していった勢力と見なせるのでしょう。
そんな嘉隆に、兄の仇討ちとも言える好機が訪れます。
永禄12年(1569年)、織田信長は北畠具教を攻めました。
北畠こそ、かつて九鬼を攻めた海賊の背後にいた勢力――嘉隆はここで大きな武功を示し、織田家中で勇名を轟かせます。
そして戦いに勝利した織田信長は二男の織田信雄を北畠の養嗣子として志摩を任せました。
九鬼嘉隆も信雄の元につけられ、志摩の海賊を統治する立場となります。
西へ勢力を伸長するうえで、信長は水軍増強が急務であると感じていました。
敵対する毛利家は、自勢力としての水軍を活用していて、この強敵への対策は急務だったのです。
かくして信長配下となった九鬼水軍はその強化がはかられます。
嘉隆は信長の命を受け、大型の安宅船六艘を建造。
この安宅船は日本の水上戦闘における画期的なものであり、積載量、戦闘力、防御力は飛躍的にあがりました。
天正年間に入り、近畿攻略をめざす信長にとって、敵対勢力による物資補給ルートの遮断は勝利への近道。
天正6年(1578年)の【第二次木津川口の戦い】で毛利方に勝利した嘉隆は、その戦功によって7千石にまで加増されたのでした。
しかしその4年後、彼らにとって驚天動地の事件が起きます。
豊臣政権は水軍を強化する
天正10年(1582年)6月――織田信長が【本能寺の変】で討たれました。
織田信雄についていた九鬼嘉隆は、天正12年(1584年)【小牧・長久手の戦い】の際、信雄に見切りをつけ、羽柴秀吉の陣営につきます。
そして天正13年(1585年)には、従五位下・大隅守に叙位・任官。
秀吉政権に取り込まれました。
なお、九鬼嘉隆は秀吉政権の元では蒲生氏郷の与力とされますが、内陸部である会津には随行させられていません。
そして秀吉は、いつしか征明の野望を胸に秘めるようになってゆきます。
朝鮮半島から明へ進むのに【水軍】は必須の存在。
豊臣政権下で水軍大名は強化され、各地の海賊が支配下に置かれてゆきました。
それまで水軍を持たなかった大名にすら、編成が命じられるほどの規模です。
豊臣時代は水軍強化の時代と言えるでしょう。
そして、その水軍を活用する局面がついに訪れます。
文禄元年(1592年)【文禄の役】です。
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