森島中良

森島中良『紅毛雑話』に描かれたエレキテル/国立国会図書館蔵

江戸時代

なぜ源内の弟子・森島中良は優秀な蘭学者だったのに筆を置かねばならなかった?

2024/12/03

一般的には発明家として知られ、「丑の日」に鰻を食べる宣伝を思いついたことでも割と有名な平賀源内。

当時の文人はマルチタレントが基本であり、現代のように理系・文系・芸術系といった分類はあまり意味がありません。

本草学者として、植物から鉱物にまで関与する。

新たな焼き物や絵画、発明品を生み出す。

作家として、春本から戯作本まで手がける――。

これだけ幅広い活動を手がけていれば、それを慕って弟子が集まる。

文化7年(1810年)12月4日は、そんな平賀源内の弟子の一人である森島中良(もりしま ちゅうりょう)の命日です。

平賀源内/wikipediaより引用

蘭学者で戯作者でもある、当時らしい文人。森島の事績や生涯を振り返ってみましょう。

 


奥医師・桂川家に生まれる

平賀源内の功績といえばエレキテル!という方が多いかもしれません。

しかし、こと知名度やインパクトで言えば『解体新書』もなかなかのものであり、源内はその発刊に関わっていました。

ご存知、杉田玄白前野良沢らの手により翻訳と執筆が進められた『解体新書』。

みなもと太郎さんの漫画『風雲児たち』で奮闘っぷりが描かれ、2018年には三谷幸喜さん脚本の正月時代劇『風雲児たち~蘭学革命篇~』として放送されています。

このドラマには迫田孝也さん演じる桂川甫周が登場していましたが、実は森島中良はその弟でした。

長男の甫周が宝暦元年(1751年)で、次男の中良が宝暦4年(1754年)あるいは宝暦6年(1756年)生まれ。

桂川家は江戸幕府6代将軍・徳川家宣の侍医をつとめて以来、代々幕府の奥医師を担ってきた名門です。

幕府の奥医師ともなると、保守的で漢方に固執する者もいました。

しかし桂川甫周は柔軟に蘭学に取り組み、『解体新書』の発刊にも立ち会うことができました。

解体新書/wikipediaより引用

森島中良は、桂川家の元の姓が森島だったため、その姓を用いています。

奥医師としての家業は兄が継ぎ、弟は兄を助ける立場でした。

兄が『解体新書』発刊に奔走しているとき、弟はそんな兄を家で労っていたことでしょう。

というのも中良は生涯、生家で過ごし、未婚とされるのです。妻や子孫と思われる記録はあり、内縁の妻子かもしれません。

江戸時代の次男以下はこうした境遇になることがままありました。長男が家を継ぎ、他家に養子へ出されるでもなければ、他に行く宛などありません。

泰平の世が長続きして、人口も増えている。とはいえ人口増大には限界がある。

中良のような次男以下の人物は日本中どこにでもいたのでした。

 


平賀源内に入門し 戯作者の道へ

森島中良は幸い、兄の交際範囲と親しくすることができました。

家業を継がないとなれば、時間は自由に使える。

『風雲児たち』の世界を目の当たりにすることができる、いわば最高の環境にいたともいえるのです。

そして明和元年(1764年)頃、中良は平賀源内に入門します。

まだ10歳頃のことであり、源内も何かと多忙ですので、特に何か実績を残したわけではありません。

蘭学者として、戯作者として、あるいは狂歌師として。

本格的な創作活動が見られるようになったのは、弟子入りから約15年が経過したころ、安永8年(1779年)とされています。

森島中良『紅毛雑話』に描かれたオランダの鉄砲/国立国会図書館蔵

ただ、運の悪いことに、この頃の源内は晩年でした。

彼は自分自身が多才であることは把握していながら、結局、何も成し遂げられなかったとして落ち込み、精神状態がかなり不安定。

そんな師匠とは、交流も途絶えがちになってしまいます。

中良は、師匠と話をしたい、師匠から学びを得たいと望んでいましたが、ついにその願いは叶いません。

源内が刃傷沙汰を起こして小伝馬町に投獄され、そのまま獄死を遂げてしまったのです。

 

寛政の改革で筆を折ることに

森島中良は、その後も戯作者として活動を続け、さらには蘭学書も発行しました。

しかし時代は変わります。

経済を重視し、開明的であった――『風雲児たち』でも、そんな風に再評価されていた田沼意次が失脚したのです。

次に幕政を取り仕切ったのは松平定信でした。

田沼意次と松平定信(右)/wikipediaより引用

天明7年(1787年)に始まった【寛政の改革】は、厳しさを増してゆきます。

庶民の娯楽となっていた黄表紙は禁止。

さらに深刻な弾圧となったのが【蘭学】です。

【寛政の改革】の一環として【寛政異学の禁】があります。朱子学を正統とし、それ以外の陽明学、蘭学等の学問を禁ずる政策です。

田沼時代にあれほど花開いた蘭学は、一転して禁じられ、中良のような文人にとっては致命的な大打撃となりました。

その結果、中良は筆を折ることを決心。

林子平のように幕府から目をつけられていた文人とも交流を断ちました。

松平定信失脚後は一時作家として復帰し、寛政年間には白河藩に出仕したともされます。

その後、死の前年とされる文化6年(1809年)まで作家活動を続けたと記録されています。

なんとバトミントンの図解も(森島中良『紅毛雑話』)/国立国会図書館蔵

 


恋川のようにはなりたくなかった?

森島中良は、創作や娯楽に対し、政治がどれだけの影響を与えるか、非常にわかりやすい例です。

この時代、経済や流通が発達し、黄表紙のような娯楽本が売れるようになり、さらには海外事情を知りたいという欲求が湧き上がってきました。

森島中良『紅毛雑話』/国立国会図書館蔵

松平定信の改革は、そうした時勢の流れに歯止めをかけようとし、失敗しただけのように思えます。

時代の勢いは田村意次時代に定まっていて、それを今さら逆流させようとしたところで結局はうまくいかなかったのです。

もしも【寛政の改革】がなかったら――中良の一生を振り返ると、どうしてもそう思えてきます。

彼が政治に抵抗するなく筆を置いた理由も理解できます。

幕府から睨まれ、自害したとされる恋川春町のようにはなりたくなかったのでしょう。

しかし、後世まで残る作家としての評価をふまえると、頑ななまでに粘る方が名声が残りやすいと言えなくもありません。

再評価が進んでいる田沼意次とその時代。その後に訪れた影の部分を知ると、より納得ができるのです。

森島中良『紅毛雑話』/国立国会図書館蔵

🏯 江戸時代|徳川幕府の政治・文化・社会を総合的に解説

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【参考文献】
新戸雅章『平賀源内』(→amazon
土井康弘『本草学者平賀源内』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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