貝原益軒

貝原益軒/wikipediaより引用

江戸時代

藩主に追い出されたこともある貝原益軒~健康本『養生訓』の著者ってどんな人?

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実は紀行文(旅のガイドブック)が大人気!

元禄十一年(1698年)春から貝原益軒は、妻と共に1年半もの京都旅行をしました。

途中で有馬温泉に半月ほど逗留しているので、心身を休ませる旅行だったのでしょう。

有馬にある瑞宝寺公園

この間、朝鮮からの漂流民と筆談を試みたり、将軍の代替わりに伴って来日した朝鮮通信使の接待に携わったりしています。

益軒は、紀行文も手掛けました。

学者というとインドア派のイメージが付きやすいですけれども、彼は学問の次に旅行が好きなんじゃないか?と思えるほど、頻繁に楽しんでいたのです。

彼の紀行文の特徴は、詩的な表現や過剰な賛美を避け、事実を淡々と述べてること。

実は当時そういう紀行文が少なく、読者の目には新鮮に映ったと思われます。

もしかしたら彼が本草学を修めていたことと関係しているかもしれません。動植物の観察結果にいちいち私情を加えていては、事実を正確に伝えられませんから。

益軒の主な観光先は

・長崎
・京都
・江戸
・吉野の花見

などなど、多岐にわたります。

事実を淡々と記したガイド本が、実は旅行者のニーズにも合っていたのでしょう。

彼の紀行文は江戸時代中に何度も再版されるほど人気となっています。

もしも『養生訓』を書いていなければ、紀行作家として名を残していた……?というのは現実がそうではないから考えてしまうものですかね。

実際、彼の代表作になったのは、教科書などでもおなじみ『養生訓』でした。

 


代表作『養生訓』には何が書かれている?

貝原益軒の代表作にして最晩年の書物となった『養生訓』とは?

簡単に紹介すると「益軒の経験や知識を元にした健康法」という内容です。

現代語訳も出ているので、ご存じの方も多いでしょう。

江戸時代のことなので、現代では非科学的・効果がないとされている記述も多々ありますが、今でも十分通用する部分が決して少なくありません。

いくらか抜粋して現代語でご紹介しましょう。

◆衣食住に関すること

「食事は腹八分にし、腹いっぱい食べてはいけない」

「美味しいと思うものでも、益がなく害になるようなものは食べてはいけない」

「前の食事が消化し終わらないうちに次の食事をしてはいけない」

「居室は南向きの明るい部屋が良い」

◆生活習慣で心がけると良いこと

「毎日少しずつ体を動かし、同じ場所に長く座っていてはいけない」

「昼間は横になって眠ってはいけない。どうしても眠ければ後ろに寄りかかって眠ればいい」

「飲食は体を、睡眠は気力を養う」

「温泉は病気に合わせて浸かるべき」

◆嗜好品の話

「酒を空腹のときに飲むと害になる」

煙草は毒なので最初から近づけない方が良い」

◆心構えの話

「何をするにも自分の力量を知ってから取り組むべき」

「すべてのことに完全無欠であろうとすると心の負担になる」

「夜遅くまで起きていると神経が静まらない」

「老人には子供を養うのと同じように気を配ってやるべき」

◆医療や病気

「薬や鍼灸を使うのは下策であり、使うことにならないよう欲を慎み、寝食を規則正しくするべき」

「40歳を過ぎたら眼鏡をかけて視力を守るべき」

「元気なときに病気の予防を心がけたほうが良い」

「奇妙なことが起きたとしても、全てが鬼神のしわざとは限らない。精神や目の病で実在しないものが見えることもある」

「医者は自分より前に患者を診た他の医師のことを悪く言ってはいけない。その根性は賤しい」

「暇なときに香を焚いて静かに座っていると、心を養えるだろう」

「70歳からは1年を無事に過ごすだけでも難しい」

「老人はちょっとした怪我や疲労、憂いですぐ大病を招くことがある」

いかがでしょう?

なかなか身につまされるものが多いというか、今でも十分に役に立つ、あるいはすでに多くの人々が実践しているような内容ですよね。

気になった方はぜひ現代語訳で読んでみてくださいませ。

 


妻を喪った翌年に往生

こうして藩主の後押しを受けて存分に学び、その知識と知恵を書物に残した益軒。

その多忙さを支えたのは、やはり妻・東軒と弟子たちでした。

前述の通り、東軒は益軒より22歳も若かったのですが、もともと身体の弱い人だったらしく、『養生訓』が出版された直後に亡くなっています。

益軒もその翌年、正徳四年(1714年)8月27日に亡くなっているため、妻の支えがいかに心強かったか……。

一度良い伴侶を得た後の孤独は耐え難いものですし、長生きの部類ではありますし、良い一生と言えるのではないでしょうか。


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長月 七紀・記

【参考】
貝原益軒/伊藤友信『養生訓 (講談社学術文庫 577)』(→amazon
山本博文『日曜日の歴史学』(→amazon
板坂耀子『江戸の紀行文 泰平の世の旅人たち (中公新書)』(→amazon
杉本つとむ『江戸の博物学者たち (講談社学術文庫)』(→amazon
国史大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典
日本国語大辞典
日本人名大辞典

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