ドラマ10『大奥』家光編で、おそろしい顔を見せつける春日局――さんざん家光を苦しめてきた彼女が死を目前にして、万里小路有功に切々と語ります。
父・斎藤利三は明智光秀に仕えていた。
本能寺の変のあと、家族たちは逃げ惑い、月を見てはやっと生き延びられたと安堵していた。
あんな乱世に戻してはならない――だからこそ、非情な手段を用いても、徳川を存続させたかった。
彼女の願望通り、江戸の庶民たちは平和で楽しい生活を送っていくようになります。
大奥から出たかつての総取締・藤波は、ウキウキワクワクと贔屓の役者・片岡仁左衛門の絵を配っていました。
いわば江戸時代の“推し活”ですね。
生きるか死ぬかの時代から、“推し活”を楽しむまでになった江戸の庶民。
当時を生きた人たちのQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は、どう変わったのか?
『大奥』を振り返りながら、江戸っ子たちの「生活の質」を考えてみましょう。
幕府公認遊郭・吉原の始まり
『大奥』には男女が逆転しているからこそ、衝撃が際立つ場面があります。
家光が大奥に仕える男たちに暇を出し、遊郭で種付けをするよう命じる場面もそのひとつ。
泣きながら追われてゆく男たちの姿は哀れでした。

徳川家光/Wikipediaより引用
これは史実を基にしています。
江戸時代初期、街を建設するために若い男性が江戸に集まりました。
そうなると治安が乱れかねない。いっそのこと幕府公認の遊郭を作ることにした。
それが吉原となります。
時代が下りますと、経済の活発化とともに、幕府公認だけには収まりきらなくなります。
旅館や茶屋の給仕娘、娯楽施設の女性店員などなど、ありとあらゆる場所で性の売買が行われるようになります。
これは『大奥』でも男女逆転して進行しており、この世界の男性たちは「種付け料」を稼いでいることが描かれています。
ペットの飼育
家光と有功を結びつけ、玉栄に呪いをかけた白猫の「若紫」。
実は、放し飼いにされた猫というのも、江戸時代以降ならではです。
それまでは繋いで飼育していたためであり、猫の放し飼いは江戸時代の開幕とほぼ同時期に始まりました。
【生類憐れみの令】は綱吉編で見どころの一つ。
豪華な衣装を着て、綱吉に抱かれる狆は愛くるしいものでした。

徳川綱吉/Wikipediaより引用
そして江戸の街中では、我が物顔で犬が走り回り、町人のお江とお美があきれたように見ているのでした。
日本での犬の飼育は、狆のような高級室内飼育犬は別として基本的に放し飼いでした。
そんな有様で、避妊や去勢ができないとなると、もう 増える一方。
生まれた子犬は水に沈めて始末することが、当時は繁殖対策として当然であったのです。
それを綱吉が止めてしまったものだから、飼育費用が莫大なものとなってしまった。
動物愛護に伴う費用や人員の配置が負担となり、世間はしらけきってしまったのです。
識字率の向上
徳川家光は『源氏物語』を知り、熱心に読み始めています。
綱吉は博学であり、さまさまな漢籍を読破。
しかし父である桂昌院は、本を読んでばかりいると視力が低下し、容貌が悪くなると娘の努力を認めませんでした。
そんな綱吉編では、江戸っ子のお江とお美が眼鏡をかけて登場します。
二人は瓦版でゴシップを読み漁り、綱吉の色狂いぶりを話していた。
大奥入りを果たした秋本も眼鏡をかけています。
本を読む。
瓦版を読む。
眼鏡をかける。
これも全てQOL向上の帰結です。
まず、印刷術。
日本が印刷した書籍を手にするようになったのは、宋版の書籍を中国から輸入して以来のこととなります。
『鎌倉殿の13人』では、北条政子が御台所として読むべき課題図書を渡される場面があります。
そこに出てきたのが宋版の書籍です。
こうした印刷物は、バージョンごとに細かな違いが発生することもあります。
綱吉編では、綱吉が手にした『韓非子』と、右衛門佐の手にしたものが異なることがプロットで大きな役割を果たします。
眼鏡
綱吉や右衛門佐だけが高まった教養の恩恵を受けていたのか?
そうではありません。
大奥には秋本という眼鏡をかけた者がおり、右衛門佐に協力していました。
眼鏡はいつから日本に来たのか?
戦国時代の終わりに、宣教師のザビエルが大内義隆に献上したと記録されます。

大内義隆/wikipediaより引用
徳川家康が愛用した眼鏡も、静岡県・久能山東照宮に残されています。
伊達政宗の副葬品にも眼鏡がありました。
とはいえ、この時点ではまだ現代の「ルーペ」といったほうが近い。
17世紀のヨーロッパでは、紐を用いてかけるタイプの眼鏡が登場しました。
日本の長崎出島にはオランダ人が訪れてきます。こうして広まった眼鏡を日本人も工夫してかけるようになってゆきます。
フレームの材質は鼈甲や水牛の角等。まだまだ高級品であり、秋本は眼鏡を買うために大奥入りをしたとか。
綱吉編では、江戸っ子のお江とお美も眼鏡をかけています。
高いながらも、庶民まで手に入ることがわかります。
そして彼女たちだって眼鏡が必要になるほど、印刷物を読んでいたこともわかるのです。
瓦版と世論
技術が発達すると、まず重要性の高いものに用いられます。
宋版だってまずは仏典や儒教教典から印刷されました。
それが時代が下ると、商業目的の娯楽が印刷されるようになります。
中国からは『水滸伝』や『三国志演義』をはじめとする白話小説が大量に輸入され、庶民の娯楽として定着。
印刷技術が庶民の娯楽となった象徴は、瓦版です。
綱吉の時代ともなると、この瓦版が売られるようになります。

瓦版を売る読売の姿/wikipediaより引用
内容はゴシップあり、怪談あり、風刺画あり。
綱吉編では『忠臣蔵』のもととなった赤穂浪士討ち入りに、江戸っ子たちがうっとりする姿も描かれました。
識字率が高く、メディアがあるからこそ、そうした庶民の声が結実します。
こうなったらあの事件をモデルにして、エンタメをバンバンやるしかねえ――当時の人々がそう考えたからこそ、『忠臣蔵』は定番として残されたのです。
メディアによって高まった評価は、現代までも付きまといます。
再評価がなされつつある綱吉。
シーズン2で重要な役割を果たした田沼意次。
彼らはメディアによって面白おかしく誇張され、現代に伝えられてしまったからこそ、実像がわかりにくくなっているといえる。
一方、メディアによって評価の高まった人物が勢揃いしているのが、吉宗編といえます。
医療編では読売師というメディアを活用し、人痘を広めることに成功しました。
目安箱
冨永愛さんが颯爽と登場した吉宗。
停滞していた政治を動かした中興の祖として名高く、『徳川実紀』でも家康に次ぐ記述の多さとなっております。

徳川吉宗/wikipediaより引用
そうはいっても、実は将軍一人の功績だけの話でもなく、吉宗時代はここまでに積み上げてきた要素が大きくプラスに作用しています。
吉宗の政策として有名な【目安箱】もそうでしょう。
庶民の意見を届けるこの仕組みには、前提条件があります。
読み書きができること。いくらアイデアがあろうと、投書できなければそれまで。
また投書できたとしても、内容が稚拙であれば届きません。庶民の声を届けるにせよ、教育があればこそできるのです。
『大奥』では、小川笙船の切実な訴えが届いていました。
当時の医者は漢籍を読みこなせるだけの教養は必須です。
民衆と上様を繋ぐ役割を、教養を身につけた医者が果たしているといえます。
享保の医療改革
幕末に来日した外国人は、瓦版を読み、好奇心旺盛な様子で見てくる江戸っ子たちに驚きました。
幕末日本の都市部では識字率が単に高いだけでなく、学問を高め、議論し、文芸を嗜む、そんな知的な営みができていたのです。
そんな教育水準を活かせたからこそ、吉宗の政策も生かされているのです。
改革では、薬の作りかたを教える文書が配布されました。
読み書きができなければ意味のない工夫といえるでしょう。教育水準があればこそできたことです。
この改革では、中国大陸や朝鮮半島に自生していた朝鮮人参の栽培も大きな役割を果たしています。
標高が高く、寒冷な土地でしか育たない
土壌が豊かすぎても、日照時間が長すぎても栽培できない
数年がかりでやっと育つ
それほどまでに栽培が難しい朝鮮人参栽培を根付かせるまでに、試行錯誤がありました。
確かな知識と実践があればこそ、こうした努力も実ったのです。
江戸の“推し活”
吉宗編の悪役と言えた藤波が、まさかの再登場を果たします。
大奥から出たあと、しがない骨董屋になったという藤波。
彼は片岡仁左衛門という役者を贔屓にしており、その絵をおもむろに取り出して、周囲に勧めました。
浮世絵の一ジャンルである役者絵は、現在のブロマイドに相当します。
印刷技術が向上し、経済的にも旨みがある。人気役者を絵師が描き、パーッと印刷して売りまくったのです。
単価が抑えられているからこそ、ファンは買いまくって周囲に配ることもできる。
江戸時代の芝居見物の時点で、現在の“推し活”はほとんど完成していたように思えるほど、江戸時代はエンタメが成熟した時代なのです。
今につながる当時の推し活をいくつか例に挙げてみましょう。
・過熱するのは女客
ドラマファンが、女のファンは役者の顔ばかり見ていて筋書きをわかっていないといったぼやきを言う。
実はこれ、江戸時代以来です。
歌舞伎役者は男性であるためか、江戸時代から女性ファンが多い。役者そのものが尊い……そうなる比率は女性の方が高かったとか。
・出待ち
役者そのものが尊いならば、ステージの下でも一目でも見たくなるのは江戸時代から同じ。
役者が出てくる場所で待ち伏せし、一目だけでも見ようと大勢が待っていたそうです。
稽古場でも出待ちをする。葬送なんてあれば大勢が押しかける。
今も昔もそこは変わりません。
・グッズ「死絵」
役者絵の中でも、ファンの過熱ぶりがうかがえるものが「死絵」です。
役者を追悼する絵ですね。
絵の中には、当たり役が描かれ、死亡年月日や戒名、享年も入れる。
とはいえ、ともかく早く刷って売ることが大事ですので、戒名を捏造したものもあるとか。売れっ子絵師の弟子が描いたようなものは絵師名すら入れません。
8代目市川團十郎のものは、なんと200種類を超えていたのですから、凄まじいものがあります。
・ファッションで推しアピール
推しが着ていたものを真似たい! 推しだとわかる色やシンボルを真似たい!
これも江戸時代にもあったことでした。
役者には定紋があります。これを簪や襟にさりげなくつけると、誰を推しているかわかるのです。
もちろん好きな役者と同じ模様や、衣装を真似てもよし。
大奥や大名屋敷で働く女中にも、こうしたグッズを持つ者がいたとか。好きだとわかる者同士で通じるものがあったわけですね。
こういうコスプレで最も有名なのが、新選組の羽織かもしれません。
ダンダラ模様は『忠臣蔵』の衣装由来のもの。
そのため制定当時から「そのセンスはどういうことなんだよ……」と嫌われ、着用しない者も多かったとか。色も派手すぎました。
フィクションではずっと着られておりますが、実際には黒のシンプルなものに切り替わったそうです。
・枕営業
これが江戸時代の“推し活”です。
金持ちともなれば大手スポンサーにもなります。そしてここからは黒い話ですが、江戸時代から“枕営業”はありました。
役者を相手に見返りとして性的行為を要求することも、公然の秘密としてあったのです。
NHKドラマ『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』では、その様子が描かれたものです。
当時の芝居見物は、それはもう楽しいものでして。
お弁当を食べて、贔屓の役者に声をかけて。そして舞台が終わっても出待ちができて、グッズを見せ合ってファン同士で推しを確認できる。
そんな経済が江戸時代にはできあがっていたのですね。
海禁政策により、海外との交易は限定的であった日本ですが、国内市場のサブカルチャーは煮詰まっていました。
浮世絵だって庶民向けのサブカルだし。ファッションもそうだ。
内向きでマニアックなサブカルぶりは、実は江戸時代にはもうあった傾向といえます。
江戸時代こそ、日本人らしさが煮詰まった時代でした。
開国へ向かい、外を見出す時代へ
吉宗時代とは、日本らしさが煮詰まっただけでなく、次の段階への移行もみられます。
こんな川柳があります。
売り家と唐様で書く三代
初代がせっかく建てた家を、遊び呆けていた三台目が売りに出してしまう――そう記すために書かれた字体は中国風だ。
世襲ばかりではハングリー精神を失ってしまうことを皮肉ったものとして有名です。
別の要素も含まれています。
「唐様(からよう)」とは中国風の書体という意味で、明代の文徴明(ぶんちょうめい)や董其昌(とうきしょう)のような字体ということになります。
江戸時代にこうした中国風の字体が流行した理由はいくつかあり【小中華思想】の反映ともされています。
家光時代、中国では漢族の明朝が滅亡し、満洲族の清朝が成立。
このことで周辺諸国はアイデンティティクライシスを迎えました。
漢族こそ中華の中心であったはずなのに、もうその王朝がない。
よし、自分たちが中華のフォロワーになったるで!
と、思い始めたのです。
地理的に最も近接していて、かつ海を隔てない朝鮮がその代表格とされ、日本も無関係ではありません。
明から亡命した朱舜水(しゅしゅんすい)は、水戸藩で迎えられました。
水戸光圀が「日本で初めてラーメンを食べた人」とされることもあるのはその影響ですね。
そして、御三家のプライド、小中華主義といった思想が高まり、後の水戸学へ繋がってゆく。
シーズン2で徳川斉昭と慶喜の父子が出てきたら、そんなことを思い出しつつ見ると興味深いかもしれません。
草莽崛起:志士が立ち上がる幕末への道
『大奥』シーズン2では、思想に目覚め、徳川幕府は軟弱だとみなす西郷隆盛たちも出てきます。
男女逆転しているのが『大奥』の世界観といえますが、この西郷隆盛が持ち合わせるマッチョイズムと女権の剥奪も、歴史的な背景があります。
権力の大きさは異なるとはいえども、明治維新とは女性の権利を剥奪し、権力と男性性を組み合わせる過程ともいえました。
江戸時代に高まる教育熱の中、男女のジェンダーに沿った教育も根付いてゆきます。
儒教的な価値観の中で、女性の役割は男性に従うことだと教える「女四書」が和訳され、普及していった。
そんな中でも自分なりに考え、学ぶ女性はおりました。幕末期には女性の志士も登場しています。
何よりも大奥が最も政治的な権力を発動したのは、幕末という動乱の時代になります。
徳川斉昭が持つ性格的な欠点を真っ先に察知し、警戒心を高めていたのも大奥。
斉昭は性的暴行事件を起こし、狩猟で捕まえた動物の死体をわざわざ見せにくるといった異常性のある行動を大奥に対し行っていました。
古典的なポピュリスト政治家のはしりともいえる人物でしょう。
勢いのよい無茶苦茶な攘夷を振り回し、幕閣に混乱をもたらした。
明治の幕臣たちは「徳川斉昭と慶喜の親子が幕府を滅ぼした」と嘆いていましたが、その危険性を真っ先に察知していたのが大奥なのです。
斉昭の子である慶喜は、大奥から警戒されていて困ったと振り返っています。
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そんな慶喜が【鳥羽・伏見の戦い】から逃げ出してきたにも関わらず、その助命嘆願に尽くしたのが大奥です。
そうした政治的闘争のみならず、マッチョイズムにも注目しましょう。
明治政府がマッチョにしなければならないと考えたのが、国の頂点に立つ天皇です。
それまでは薄化粧をして、歌を詠み、御簾の後ろにいた天皇を東京に連れてきて、軍服を着せて馬にまたがらせたのです。
天皇に仕えた女官は全廃。
大奥ももちろん廃止。
女性の権利を徹底的に排除してゆきます。
教育も良妻賢母の道のみを残し、知的好奇心を追い求めることはできぬようにしました。
鹿鳴館で踊り、夫の妾に土産物を差し出すような女性像が、明治の理想となっていったのです。
服装、教育、言葉遣いと、ありとあらゆるものに女性らしさがつきまとい、押し込められていった近代日本。
そんな中で自分らしい教育を求めた女性もいます。
津田梅子です。
彼女は『大奥』シーズン2にも出てくることでしょう。
『大奥』の世界観は男女を逆転させてパラレルワールドを描いてきたようで、現実に繋がって幕を閉じてゆきます。
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実は江戸時代の女性って、男女が逆転していない世界でも、なかなかワイルドでして。
例えば粋な女性は立ったまま排尿したり、家を出て役者の追っかけをしたり、夫そっちのけで推しの出待ちをした者もいます。
大いに学び、俳諧、漢詩、文章も残しました。
葛飾北斎の娘である応為は、立派な絵師です。
三行半をつきつけて、離婚することだってできました。
夫婦別姓。
墓だって別。
江戸時代にまで遡るなら、それが日本の伝統です。
近代化で西洋列強に対抗するため、日本の伝統からかけ離れたジェンダー観が明治以降に取り入れられました。
『大奥』で、のびのびと振る舞う江戸の女性たちは男女逆転したから実現していたのか、それとも実像か?
そう考えてみることも興味深いことです。
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【参考文献】
岡本綺堂『風俗 江戸東京物語』(→amazon)
倉地克直『江戸文化をよむ』(→amazon)
日本風俗史学会『江戸期の社会実相一〇〇話』(→amazon)
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon)
『新書版 性差の日本史』(→amazon)
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