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【松平武元】
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「右近将監」に取り入ってこそ政治が動く
『べらぼう』序盤の幕政パートは、田沼意次が主役。
松平武元の役割は、意次にとって頭の上がらない上司であり、実際、劇中でも対応に苦心する様子が描かれました。
吉宗に才能を見出された青年時代と違い、田沼意次が仰ぎ見る松平武元は、保守的な人物像であるとされています。
松平武元はその官位から「右近将監」と呼ばれていました。
この「右近将監」の覚えがめでたくなることこそが、当時の政治を動かす重要ポイント。
江戸時代ともなると、大名や幕臣にとって官位はステータスシンボルです。
たかがシンボルなれど、これを引き上げたいと望む者はいて、そうしたときに早道だったのが「右近将監」こと松平武元に取り入ることでした。
こうした工作の一例として挙げられるのが、明和2年(1765年)、仙台藩主・伊達重村が目指した「少将」です。
重村はそのステータスを得るため、以下の相手に贈賄工作を行っています。
何をするにせよ、松平武元への口利きは欠かせない代表事例と言えるでしょう。
松平武元は、いわば田沼意次の贈収賄仲間としての姿が見えてきます。
実際は清廉潔白なのかどうか
「金!金!金!と言うな!」
ドラマの中では田沼意次に向かってそう叱責していた松平武元ですが、実際は贈賄の対象筆頭とも言える位置にいる。
こうしてみてくると「おぬしもワルよのう」という時代劇定番のセリフが似合いそうな悪徳政治家に思えるかもしれません。
しかし、松平武元は「清廉潔白」であるという当時の人物評があります。
大奥に媚び諂わなかったからであるとか、田沼意次と比較すれば相対的によいのではないか、などと評されたのですね。
ただし、それは単なるイメージであり実際は清廉潔白というわけでもなかった、とも指摘されることもあります。そもそも当時の贈収賄はマナーの範囲であって、必要悪にすぎなかったという見方もできます。
現代の感覚ではどうにも掴みづらいのが実際のところでしょう。
ゆえに今後の『べらぼう』でどう描かれるのか、気になるところではあります。
石坂浩二さんと渡辺謙さんという時代劇レジェンドが、ただ財政について話し合っているだけで終わることはないのでは?とも思えます。
松平武元は、安永8年(1779年)のその死まで、老中首座をつとめました。
家督は四男の松平武寛が継いでいます。
田沼意次にとって、これは頭の上から重石が取れたことでもあります。
松平武元のあと、相次いで老中たちが世を去り、やがて天明年間に突入すると、本格的な田沼意次の政治が始まってゆくのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
藤田覚『田沼意次』(→amazon)
江上照彦『悪名の論理』(→amazon)
安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』(→amazon)
他