株仲間

株仲間を奨励した徳川吉宗(左)と田沼意次/wikipediaより引用

江戸時代

『べらぼう』で注目の株仲間は悪徳商人の集まり?吉宗や意次が推奨した理由は?

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吉宗と意次に先見性があった!?

江戸期の株仲間の原型は、おおよそ八代将軍・徳川吉宗(将軍任期:1716-1745年)の辺りまでに出来上がっていました。

幕府の成立時期から考えるとかなり遅い気もしますが、公的機関ではないので急いで作ることもできなかったのでしょう。

徳川吉宗/wikipediaより引用

もう少し時代が進むと、株仲間は組織らしく役員や事務所を構え、年始や八朔(8月1日に徳川家康が江戸城へ来たことに由来するお祝い)などもやるようになります。

そこで、次のステージへ向かうことになったのです。

業界が潤うということは、そこに大きなお金の動きが出ます。

しかも、財政がどんどん苦しくなっていく江戸幕府。

その立て直しのカギを見出したのが、徳川吉宗と田沼意次でした。

 


株仲間も徐々に腐敗が目立つように

吉宗や意次の時代――。

幕府のみならず各地の大名家は、ある程度、株仲間の存在と販売権の独占を認める代わりに、お金=冥加金を納めさせるようになっていきます。

実質的には税金みたいなものですが、イメージ的には「黄金色のお饅頭(賄賂)」のように思えてしまいますね……って、そろそろこのネタ通じない?(´・ω・`)

幕府の税収を米に頼らず、様々に発展する商工業に目を向けたことは、非常に理に適っていました。

米が生活(食)の中心であることは間違いありませんが、戦国期とは異なり、平和になった様々な物やサービスが増えれば、それだけ税も多様化しなければならないからです。

その点、株仲間を監視下に置くことは、取りっぱぐれることなく確保できる貴重な財源だったのです。

しかし、多くの組織と同じく、株仲間も徐々に腐敗が目立つようになってゆきます。

職人や奉公人の取り締まりに関する協定を結んだり。

価格が不当に釣り上がったり。

逆にダダ下がったり。

徐々にコントロールが利かなくなったのです。

そこで天保の改革(水野忠邦)の頃には幕府から「お前ら最近行状がよろしくないから株仲間は停止!」とまで言われてしまうのでした。

改革の中心人物だった水野忠邦が「物価高騰は株仲間の流通独占によるもの。だから解散すれば物価が下がってうまくいく」と考えたのです。

水野忠邦/wikipediaより引用

 


明治維新後は貿易商に圧迫され、解散へ

しかし、水野忠邦の考えは大ハズレでした。

農村の発達と新興商人の台頭が進んでおり、特に地方においては、株仲間の影響力はさほど大きなものではなくなったのです。

株仲間をどうこうするより、別のところに力を入れて改革すべきでした。

そのため、三都(江戸・大坂・京都)以外では取り締まりが行き届かず、三都でも株仲間を停止するメリットよりデメリットのほうが大きかったので、再興が決定。

以降、スムーズな流通を選んだのでした。

ちろん、再興するにも条件はついています。

専売やパチもんの売買をしないこと。

物価を不当に釣り上げず、真っ当に商売すること。

新しく株仲間に加わろうとする者については、明確な理由がなければ拒まないこと。

さらに、新参者から礼金(入会金)をボッタくらないよう、幕府から釘を差されています。

散々、失敗を重ねた幕府に言われたくねー!と思っていたかもしれませんが、実際、お金に絡んだことはガッチガチに規制が強すぎると、摩擦が生じるものです。

株仲間同士でのトラブルもあり、結局、その輪に加わらない同業者も多かったとか。

幕末の開国後、株仲間は貿易商に圧迫されることも多く、経済的にも苦しくなっていったといいます。

そして明治に入ってからは、新政府の意向で正式に解散することになり、歴史的な役割を終えました。

各業種の商業組合に移行していった、とも言えますね。

時代の流れも仕組みも大きく変わりましたから、致し方ないところでしょう。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「株仲間」
株仲間/wikipedia

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