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【江戸っ子と蕎麦】
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東京の真っ黒けな汁も実は粋
蕎麦の歴史と特質は、さまざまな特徴も生み出しています。
『べらぼう』でも、蔦重は「ズズッ!」と蕎麦を勢いよく啜っていますよね。
その音が下品だなどと言われることもありますが、江戸以来の伝統と言える。
関西人による食マウントの決め台詞として、しばしばこんな言葉が用いられたりします。
「東京の真っ黒けな汁のうどんなんか、食えるかいな!」
しょうもない悪態のようで、歴史を探るとおもしろい背景が見えてきます。
江戸時代の前半、江戸で醤油が重宝され始めました。
江戸っ子お気に入りの最先端調味料ですから、そのトレンドを堂々と見せつけるためにも、真っ黒い汁はうってつけ。
それが蕎麦だけでなくうどんにまで適用された結果、関西人からすれば洒落にならんほど真っ黒い汁となるわけです。
こうした食文化は、日本の伝統行事にもなりました。
年越し蕎麦は、長い蕎麦のように、末長く暮らしたいという願いを込め、江戸から始まっています。
正月に食べる雑煮は、西日本が味噌、東日本が醤油をベースにしていることが多い。
東日本の大名は参勤交代で味わった醤油を最新流行として自藩に持ち帰り、広げていったためとされます。
幕末ともなれば、醤油はもはや江戸っ子にとっては欠かせないものとなります。
アメリカやヨーロッパに渡航した幕臣たちは、滞在先で醤油が尽きると「もはやこれまで」と絶望していたものでした。2027年『逆賊の幕臣』では、小栗忠順がそんな姿を見せてくれることでしょう。
それもこれも最先端調味料である醤油を用いることが定着したからこそです。
かくして江戸のソウルフードとなった蕎麦。
江戸っ子独自のレジャーである吉原に「つるべ蕎麦」があることは当然とも言えるのです。
浮世絵一枚「二八」は16文で蕎麦一杯分?
ドラマの中で「1400両」と提示された瀬川の身請け金はべらぼうな金額だそうです。
うつせみの身請け金は、推定300両。それでも貧しい新之助からすれば、雲の上の額だとか。
『新吉原細見』は従来通りの48文であり、蔦重版『籬(まがき)の花』は半額の24文でした。
こうして『べらぼう』には、江戸の物価が出てきましたが、当時の物価基準としてあげられる定番といえばこちらです。
蕎麦一杯=16文
16文という値段は、浮世絵の価格基準としても用いられます。
基準の判型より大きかったり、加工を入れると当然これより高くなります。外食が多い江戸っ子にとって蕎麦より若干高い値段設定にされた『籬の花』は魅力的な価格に思えたことでしょう。
しかし、ちょっと気になることがあります。
長い江戸時代、その間に物価は上昇しなかったのか?
というと、実際は16文から値上げされています。
蕎麦の名称として知られる「二八」という言葉については、「小麦粉2:蕎麦粉8の略称ではないか?」とか「二八の16文だから二八では?」といった諸説があり、実は謎の多い概念。
それでも『べらぼう』の登場人物たちに「二八といえば?」と問いかけたら「蕎麦に決まってんじゃねえか」と返ってくることでしょう。
二八=蕎麦であり、価格の基準として機能していたことは確かなのです。
現在は世界に通ずる基準として「ビッグマック指数」という、各国の経済規模を示す指数があります。
ご存知、ビックマックの価格を基準としたものであり、ファストフードを物価の中心に据える考え方が江戸時代からあったと思うと、なんだか不思議な気分にもなってきますね。
「夜鷹そば」の悲哀
新之助と足抜けを試みて失敗したうつせみ――彼女を折檻しながら、松葉屋の女将いねは、こう怒鳴りつけていました。
「足抜けをしたら、あんたは夜鷹になるしかない!」
「夜鷹」とは、最下層の遊女を指します。
吉原を生きる女郎にとって残酷なところは、年季が明けて街へ出ることができても、生きていく稼ぎを得られない点にもありました。
技能も何もない。
吉原で生きてきたため世間知らず。
結局、やむなく身を売る境遇に戻ってしまう、そんな悪循環があったのです。
こうした遊女は「夜鷹」と呼ばれました。
顔を手拭いで覆い、茣蓙(ござ)を手にして夜の街に立つ。茣蓙を敷いて素早く客の要求に応じる。

月岡芳年『月百姿』に描かれた夜鷹/wikipediaより引用
当時は「夜鷹そば」という言葉もあったほど。夜鷹が商売の合間にすする蕎麦という意味であり、夜の街をゆく粗末な屋台がしばしばそう呼ばれました。
空腹のため、多めに蕎麦をすする夜鷹。
その蕎麦代で、身を売った金を使い果たしてしまったことに気づき、泣くしかない。そんな悲哀が語り残されています。
ちなみに時代が降ると「夜鷹そば」の店主も「夜鷹」と略して称されます。女郎なのか、蕎麦屋なのか。前後の文脈から読み解く必要が生じます。
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